残像

長嶋選手に哀悼

長嶋さん 残像
「週刊ベースボール」1959年1月14日号発行 出版:ベースボール・マガジン社 原典 http://auctions.wing.c.yimg.jp/sim?furl=auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/ra128/users/0/4/0/6/hirorariera-org-143844913059816&dc=1&sr.fs=20000
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長嶋茂雄さんに哀悼の意を捧げます

あの長嶋茂雄さんが、2025年(令和7年)6月3日に他界された。哀悼の意を捧げます。

私の少年時代

私は子供の頃、球技全般に得意でなかった。野球ももちろん得意ではなかった(下手という事です)。下手なので、自尊心もあって野球をしたいとは思わなかった。でも、やらないとどんどん下手になっていくのも事実で、本当は少しでもやった方が良かったのかもしれない。

ある日、父はバットとグローブを買ってくれた。そしてキャッチボールの相手になってくれた。何度もやった筈だが、やはり上達しなかった。父曰く「〇〇(私の事)はキャッチボールをしても、目をつぶっちゃうし、よけちゃうんだよな」と困っていた。

岩瀬に住む同級生I君とは仲が良かったが、野球に関しては私を誘わなかった。I君のお母さんが見るに見かねてI君に「野球をするなら〇〇ちゃんも誘いなさいよ。どうして誘わないの?」と問うた。その問いに対してI君曰く「〇〇ちゃんが居るとチームが負けるから」。

中学生時代、同級生のY君は南花島の栄松寺の裏、国鉄の職員用アパートに住んで居た。Y君は六中時代野球部で確か投手をやっていた。20代の頃だったと思うが、そのY君に偶然出会い旧交を温めた。車で江戸川の堤防に行き何故か、二人で川に向かって石投げを始めた。私が投げるフォームを見てY君曰く「投げ方が子供みたいだな」

野球はしないけど、長嶋さんは好きだった

私は野球をして遊ぶのは好きではありませんでしたし、そもそも興味が無かったので、特別贔屓にしている球団もありませんでした。ただ、私の住む松戸では多くの人が巨人ファンだった印象があった事から、巨人ファンの様な顔をしていたかもしれません。好きなチームはなかったのですが、私は長嶋さんだけは、何故か大ファンでした。

何故かと問われても明確には答えられません。例えば現在は大谷選手が良いなとは思いますが、それで即ちドジャースのファンという訳ではありません。私はどうもチームよりも個人に目が行くのかもしれません。

加えて長嶋さんのメンコも人気がありました。漫画雑誌の表紙を長嶋さんの大きな写真が飾る事もありました。

始めて後楽園球場に行った

球場

いらすとや
https://www.irasutoya.com/

あれは、小5の頃だったか、父がダブルヘッダーのチケットがあるというので、後楽園球場に連れて行ってもらったことがありました。でも、ダブルヘッダーは余程野球の好きな人なら分かりますが、野球が特別好きではない私にとっては、ちょっと時間が長すぎる感じがします。私は出来れば後楽園遊園地で数時間遊び、その後野球を見に行きたかった。

球場に入ると後楽園の内野席で、勿論目の前は巨人の選手がいました。川上哲司監督が采配を振るい、金田正一選手、城之内選手、堀内選手が投げる、捕手は森選手、内野手は長嶋さん、王さんを筆頭に土井正三選手、外野手では盗塁の柴田勲選手、末次選手も居たけど、まだ三年目くらい。内野席で見ていると、これら選手たちが想像よりも小さく見えて、ベンチに入ったり、出たりしていました。

当時の後楽園球場はまだドームじゃなくて、王さんの場外ホームランを見ましたが、天高く上がり、あんなに飛ぶのか・・・と不思議な気持ちでした。

関谷応援団長がすぐ近くに

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内野席に座っていると飲み物売りのお姉さんが右往左往している。又、私のすぐ近くに大きな声で巨人を応援しているおじさんが居た。あまり大きな声なので、父に聞くと「あの人は関谷応援団長だよ」と囁いた。どうやら私設応援団で、名前は関谷文栄さん。なんでも舟木一夫の応援団もやっていたとか・・・

前述した様に、とにかく大きな声で応援していたっけ・・・そのすぐ近くには、かなり年配の女性が座っていて、盛んに「王さ~ん!長嶋さ~ん!」と応援している。後で聞くと、毎日のように立派な車で乗り付ける女性だったらしいのですが、関谷応援団長はこの年配の女性の隣に座って、一緒に応援していたっけ・・・

あの年配の女性の叫び声は独特の響きがあって、一度聴くと忘れそうにない声だった。そのためか、巨人戦をテレビ中継で観戦していると何故かあの年配の女性の叫び声が聞こえる事があった。

舟木一夫も80歳だし、御三家だった橋幸夫も夢グループに入っているものの認知症をカミングアウトしつつ頑張っている。長嶋さんも他界されたくらいなので、流石にあの年配の女性は生きていないだろうけれど、ただあの内野席での独特の雰囲気は、野球が苦手だった私も引き込んでしまうような不思議な魅力があったんだ。

野球の時代は終わった

寺山修司 - Wikipedia

文芸春秋に掲載された寺山修司さんの文章に「野球の時代は終わった」がある。本が手元に無いので、詳しくは書けないが、野球の本質をキャッチボールの中に見出し、投げる→受け取る→投げる・・・を繰り返す中で、相手の人物を知り、理解していく。野球とはそういうものだった筈なのに、今は家の中で野球中継をビール片手に見るようになった。

そういう状況に対して「野球の時代は終わった」と寺山修司さんは書いていたような記憶がある。ビール片手に見ていた選手は誰だったのか?と想像するのだが、それは言わぬが花。

長嶋さんの練習 1963年

カラーでこの当時の練習風景があるという事が驚きました。

巨人軍物語(昭和33年制作)

水原監督率いる時代で、すでに王選手、長嶋選手が映っている。正力松太郎の前で長嶋さんが質問されている動画。

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