浜松の発展
私の第二の故郷である浜松市の発展について、自分なりに調べたものをまとめてみた。内容は、表の家で発表した私版”私の履歴書"建築設計(いざ浜松へ)に掲載していた内容を改め、独立したページにしたものです。独立させると共に少し内容を充実させてあります
浜松で良く通った場所-1(サムデイ編)
我が第二の故郷である浜松には1983年から1985年まで常駐していた。あの二年間、昼を問わず夜を問わず浜松市内を巡って歩いたのは、良い経験だった。最も通った場所はグランドホテル浜松のスカイラウンジ”サムデイ”だ。その思い出を紐解いていきたい。
千倉鉱泉 千倉館 : 昭和な観光パンフ
千倉は宿場町だったようで、多くの人がここに訪れたらしい。千倉館のホームページに依ると花街もあったらしい、千倉館の前身は、宿のすぐそばを流れる川尻川から名前をとった「川尻館」だったそうだ。昭和15年に千倉館として現在に続く。その古パンフを紹介
房州白浜:昭和な観光パンフ
房州白浜:昭和な観光パンフ 現在の南房総市白浜町の古観光パンフである。後述するホテル旅館の宿泊代から昭和37-39年頃ではないだろうか?銀座の千葉県東京事務所物産観光部に白浜町観光課の東京案内所があったようだ。また、このパンフレットはデザイ...
奥利根谷川温泉 向島館 昭和十年代:昭和な観光パンフ
群馬県の奥利根の谷川温泉にかつて存在した向島館という旅館のパンフ。清水トンネルがが開通した事が書かれている。開通は1931(昭和6)年であり、宿泊料金などから多分昭和十年代と想定したい。場所は、上越線の水上駅から谷川を上がった場所にあった。
観光銚子/川安旅館発行:昭和な観光パンフ
観光銚子と書かれた古パンフレットについて、分析した。これは川安旅館が発行し、銚子市の大衆日報社が印刷したものです。銚子は日本の最東端で黒潮と親潮のぶつかる場所であり、良い漁場としての歴史があります。また江戸時代から続く醤油会社もあります。