日本人会と運動会
海外に長期で赴任、常駐すると実は色々な人との横のつながりが出来る。これを可能にするのが、日本人会であったり、日本人学校であったりする。常駐開始の頃はあまり近づきたくない存在ではあったものの、時が経つごとに、非常に有難い存在である事に気が付く
壱拾円でございます
私が滞在していた1987年から1990年までの台湾は私の第二の故郷であり素敵な所です。出会う人は、みな親切で優しい人達でした。私の台湾愛をくすぐる「謝小姐の台湾日記」というブログの中の”十円でございます”に心の琴線に触れたような思いでした。
”千葉市の展望” : 昭和な絵葉書
昭和20年代千葉市で発行された”千葉市の展望”という絵葉書です。千葉市の商業や観光促進の為に作られたのだと思います。京葉工業地帯に変わっていく直前の千葉市の姿が見られますが、この絵葉書を見ると現在の千葉市とはかなり異なる部分もあり、興味深い
千倉鉱泉 千倉館 : 昭和な観光パンフ
千倉は宿場町だったようで、多くの人がここに訪れたらしい。千倉館のホームページに依ると花街もあったらしい、千倉館の前身は、宿のすぐそばを流れる川尻川から名前をとった「川尻館」だったそうだ。昭和15年に千倉館として現在に続く。その古パンフを紹介
京成電鉄 谷津遊園案内 : 昭和な観光パンフレット
谷津遊園は船橋ヘルスセンターと並んで一年に一度は行きたい場所だった。そんな谷津遊園のパンフレットの第二弾について、分析してみる。船橋ヘルスセンターもそうだったが、谷津干潟で潮干狩りをして、遊園地では遊ばずに帰るのが我が家の常だったところがある
谷津遊園 : 昭和な観光パンフレット
谷津遊園は船橋ヘルスセンターと並んで一年に一度は行きたい場所だった。そんな谷津遊園のパンフレットについて、分析してみる。子供の頃は谷津干潟で潮干狩りをして、遊園地では遊ばずに帰るのが我が家の掟のようなところがあった。船橋ヘルスセンターも同じ
房州白浜:昭和な観光パンフ
房州白浜:昭和な観光パンフ 現在の南房総市白浜町の古観光パンフである。後述するホテル旅館の宿泊代から昭和37-39年頃ではないだろうか?銀座の千葉県東京事務所物産観光部に白浜町観光課の東京案内所があったようだ。また、このパンフレットはデザイ...
房総白浜の昭和な絵葉書 と 白浜町の磯の思い出
千葉県の最南端、房総白浜の絵葉書と白浜のFさん宅への旅行。白浜は私にとって天国のような場所。磯に生息している生物の豊富さ、キレイな星空、ホタル、なんて行っても美味しい海の幸。海士、海女だったFさんのお父さん、お母さんに今更ながら感謝します。
観光銚子/川安旅館発行:昭和な観光パンフ
観光銚子と書かれた古パンフレットについて、分析した。これは川安旅館が発行し、銚子市の大衆日報社が印刷したものです。銚子は日本の最東端で黒潮と親潮のぶつかる場所であり、良い漁場としての歴史があります。また江戸時代から続く醤油会社もあります。
安房小湊奇蹟・名勝 妙の浦案内:昭和な観光パンフ
妙の浦遊覧船事務所発行による古い時代のパンフレット。妙の浦(たへのうら)は小弁天島、大弁天島のある海岸線を指す。ただ、地図を一読すると、妙の浦の読みに因んで(ゴロを合わせて?)安房小湊の内浦湾の漁港附近全体を"鯛の浦"と呼んでいるらしい。