スリランカ

日本人会と運動会

スリランカの日本人会、日本人学校の合同運動会 スリランカ
スリランカの日本人会、日本人学校の合同運動会 1986年頃撮影だろうか
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コロンボの日本人コミュニティ

スリランカ日本人会に入りなさい

スリランカ日本人会
スリランカ日本人会のホームページです。

ある日コロンボの現場で常駐していた先輩K氏が「日本人会に入会しろ。会費は会社で払うから……」と言う。今から考えれば、誠にありがたい話だった。ところが当時、私は金融関係や商社などを中心とした寄り合い的な集まりがイヤだった。群れる感じと言うのだろうか?そのため、これを丁重にお断りした。そんな私を前にK氏はそれ以上強く言わなかった。

ただ、先輩のK氏は2歳の娘が居た。まだ日本人会の幼稚園には入る年齢ではなかったと思うが、もしかしたら、年齢以下の子供たちを扱うPre nursery schoolに通っていたのかもしれない。今となっては分からない。又、日本人会は2024年現在はゴールロード沿いのシナモン・グランド・コロンボホテル(かつてのホテル・オベロイ)の近く。

日本人学校かインターナショナルスクールか

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実は、海外の長期滞在家族が直面する問題として子女教育がある。主に日本人学校とOverseas Children`s School(インターナショナルスクール)に通わせる選択肢があった。当時、日本人学校はHorton Place, Colombo7にあり、日本人学校に通う生徒は小学校で40~50人、中学校で10数人程度だったと思う。

インターナショナルスクールであるOverseas Children`s Schoolは国際的で40ヶ国の生徒が500人以上が通っていた大きな学校だった。授業が英語で行われるので、英語力のない生徒は特別学級が用意されていると聞いた。もっとも日本人家庭では日本人学校に通わせた人の方が大半だったのだろうか?今となっては聞くことも出来ず何とも言えない。

ちなみに日本人学校は2024年現在はロイヤル・コロンボ・ゴルフクラブの近くにあるようだ

日本人会と日本人学校は密接な関係が成り立っていた

又、日本人会と日本人学校は密接な関係をもって活動している。例えばシンガポールでは日本人会会則として:「日本人学校の設立・運営・維持に関わる」という一文があった。日本人学校は独立した組織であるが、日本人会と密接に繋がっている。従って家族で赴任、子供が日本人学校に入る必要があると、どうしても日本人会に入会することになるらしい。

そういった意味から、私は当時独身であった訳で、特に入会する必要はなかったといえる。無かったのだが・・・

日本人会の運動会に参加

スリランカの日本人会、日本人学校の合同運動会

スリランカの日本人会、日本人学校の合同運動会
1986年頃撮影だろうか

常駐開始から半年以上経過した頃だったろうか。K氏が「今週の日曜日日本人学校の運動会がある。君も参加したらどうだ?」と誘ってくださった。私は勿論OKした。当日行ってみたら結構な人数が集まり賑わっていた。私は何故か障害物競走に出走することになった。

障害物競争

いらすとやさんより
https://www.irasutoya.com/

実は障害物競争にはコツがある。網をくぐる際、二番手で入っていくと良い。つまり一番手の人が網を上げた瞬間、その出来た隙間に一気に飛び込んで走り抜けると一位で出られる。そして私は一等賞に輝いた。一等賞の賞品もいただき「めでたしめでたし!」の筈だった。ところがこの一等賞が大きな波紋を呼んだらしい。

私が障害物競争で賞品を取った事で波紋が

ガミガミ

いらすとやさんより
https://www.irasutoya.com/

数日して先輩K氏が血相変えたように私に噛みついてきた。「日本人会に入ってもいない者が日本人学校の運動会で障害物競走に出て賞品をもらった」と噂が立ち、揶揄されたからのようだ。畳み込むように「俺が困るから日本人会に入りなさい。会費は経費で払うから……」K氏に迷惑をかけてまで拒む理由はない。仕方なく入会した。

コロンボの現場が終わって帰国する日まで、日本人会入会によるメリットは(私自身には)一切なかった。もちろん困ったこともなかった。唯一、先輩の面子が立ったという事くらいだろうか?

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香港へ

香港では何故か日本人会に入った

Hong Kong Japanese Club

それから10年後私は香港に赴任した。コロンボの頃とは立場も異なり、人との接触も必要だった背景もあり、自ら望んで在香港日本人会に入った。私らしくないと言えばらしくないのだけれど、日本人会の本部が銅鑼湾(コーズウェイベイ)の我々のオフィスの目の前にあった事、そして、日本人会入会によって日本人会会員用レストランが使え、便利だった事もあった。

我々の事務所はそごうビルの中、日本人会は三越デパートが入っているビルにあった。日本人会のレストランは37階だったと思う。ここは絶景で旧カイタク空港に離着陸する飛行機が眺めるすばらしい場所だった。ちなみに2024年現在はコーズウェイベイのそごうビルの裏手になっているようだ。

日本人会に入ったきっかけはM氏のおかげ

当時、TOTOの香港オフィスの責任者だったM氏が日本人会レストランに連れて行ってくれた事が、きっかけになった。その際、コロンボでの経験を思い出し、赴任先の若い社員(K君やT君)が肩身の狭い思いをしてほしくなかったという考えもあった。私が日本人会に入れば堂々とレストランを使用することが出来る。

ただ、家族の居ない私が日本人会に入る理由付けが、無かった事から、日本人会会費は本社からは経費として認めてもらえないだろうと思い、あえて会社には請求せず個人のお金で入会したっけ・・・

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最後に

スリランカに常駐した頃は、”金融関係や商社などを中心とした寄り合い的な集まりがイヤだった”と書いたが、時間を経て、交流範囲が広がるに連れ、そんな簡単なものではない・・・と思うようになった。実際、三井物産のTさんにはCurfewでコロンボ市内に我々が食べられる米が無くなった時に分けてもらったり、伊藤忠商事のNさんとは一緒にモリジブに旅行まで行った。

又、ゴールデン・トパーズに行くと、李香蘭のご主人だった大鷹大使と肩を並べて、チップを置いていた。Jetroの方ともYUKIで会ったし、海外青年協力隊の人達とも触れ合った。ある意味、日本に居ただけでは知り合えない人達とコロンボという特殊な場所に居たことで、お知り合いになれたというのは非常に興味深い事だと思う。今後ともよろしくお願いします。

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