浮島(霞ヶ浦)の思い出
小学生の頃は夏休みはどうしても水泳場に行きたかった。概ね海水浴で船橋ヘルスセンターや谷津遊園の浜であったが、一度、淡水の霞ヶ浦の浮島という場所に行った。浮島は海水の混じる汽水湖らしい。その浮島も生活排水で汚染され、干拓で陸続きになり、変わった
壱拾円でございます
私が滞在していた1987年から1990年までの台湾は私の第二の故郷であり素敵な所です。出会う人は、みな親切で優しい人達でした。私の台湾愛をくすぐる「謝小姐の台湾日記」というブログの中の”十円でございます”に心の琴線に触れたような思いでした。
浜松の思い出深い場所
浜松は1983年から1985年まで常駐していた場所で、わが青春の場所だった。街も活気があり、友人も多くできた。鍛治町の方々にお世話になりながら、凧祭りも参加した。あの当時、私がウロウロとしていた場所について、記憶を辿りながら書いていきたい。
浜松の変貌と活気-2(気になった建築)
久しぶりの浜松市内を歩き、気になった建物をピックアップしてみた。比較的最近の作品として、浜松いわた信用金庫のモダンな建物が目についた。主に日建設計が設計したものらしい。本店営業部のテラコッタタイルの外壁ルーバーなどはデザインの良いアクセント
私にとっての海
海に面していない松戸市に住む私にとって、海は特別な存在。それは魚釣り、水泳、潮干狩り、磯で水中生物を捕獲する海だった。特に船橋ヘルスセンターや谷津遊園は潮干狩りの海、房州白浜の海は磯であり、海の獲物と出会い格闘する場所で思い出が深い場所です
船橋飛行場@船橋ヘルスセンター
船橋飛行場は1958年(昭和33)から1969(昭和44)まで船橋ヘルスセンター内に存在した飛行場。この飛行場で遊覧飛行をしていたセスナ172の遊覧記念絵葉書とセスナ170Bのちらしをここに再掲載。表の家の行脚番外編で過去投稿、再構築した。
船橋ヘルスセンター絵葉書
船橋ヘルスセンターは1955(昭和30)年にオープンし我々が夏には必ず行きたい場所だった。そして、写真の内容から判断して、この絵葉書は開業当時の写真ではないか?と見ている。そんな60年以上前の写真について、どうであったのか、考えてみたい。
”千葉市の展望” : 昭和な絵葉書
昭和20年代千葉市で発行された”千葉市の展望”という絵葉書です。千葉市の商業や観光促進の為に作られたのだと思います。京葉工業地帯に変わっていく直前の千葉市の姿が見られますが、この絵葉書を見ると現在の千葉市とはかなり異なる部分もあり、興味深い
千倉鉱泉 千倉館 : 昭和な観光パンフ
千倉は宿場町だったようで、多くの人がここに訪れたらしい。千倉館のホームページに依ると花街もあったらしい、千倉館の前身は、宿のすぐそばを流れる川尻川から名前をとった「川尻館」だったそうだ。昭和15年に千倉館として現在に続く。その古パンフを紹介
江戸川堤の桜並木-花見
葛飾区側の江戸川堤に存在した桜並木の名所の絵葉書(大正時代~昭和十年代)を公開。戦後のカスリーン台風や狩野川台風など関東地方を襲った台風による水害が原因か、堤防が作り変えられ、当時の桜並木は残っていませんがスーパー堤防化で復活したら良いな。