霞ヶ浦にある浮島
常磐線で土浦へ
フルスクリーン表示
上の空中写真は国土地理院 1961-1969年の土浦駅及び船着場の付近です。
小学生の頃、茨城県の霞ヶ浦に行ったことがあった。常磐線に暫く乗っていると、母が「ここが、牛久だと、次は土木(東葛土木事務所)かな?」と冗談を言ったので笑った。実は近所に牛久さんの家があり、次が東葛土木事務所だった。しばらくして土浦駅に到着した。随分遠い駅だなあ・・・と思った。駅から汽船乗り場まで行き、観光遊覧船の様な船に乗った。
どういうルートの船なのかはあまり覚えていないが、多分土浦-浮島の和田岬-牛堀まで行き、土浦に戻る船だったのではないだろうか?大きめの船だった記憶があるが、はっきりした記憶がない。霞ヶ浦は広くて、海と変わらなかった。ただ、臭いは磯臭い海のそれではなく、何となく泥臭いような感じではあった。
でも坂川や新坂川の様な泥臭さではなくて、もう少し澄んだ臭いだった様な記憶がある。
浮島到着
フルスクリーン表示
上の空中写真は国土地理院 1961-1969年の浮島です。
船に暫く乗っているとやっと浮島に着いた。多分、和田岬の付近だったと思うが、記憶が曖昧である。船着場からどうやって目的地に行ったのか良く覚えていない。ただ、そこは水泳を楽しむ場所というよりは、多くの人が皆一様に霞ヶ浦の生物を捕獲している様だった。1976年に崙書房から出版された「目でみるふるさと霞ケ浦 : その歴史と汚濁の現状」という書籍に懐かしい写真があった。
この写真では、かなり水深は浅いが、実際私が行った際はもっと深かった。潮干狩りにしては深い水深だった訳だ。
どうやら霞ヶ浦は干満があるらしく、私が行ったタイミングは若干満潮に近い水位だったらしい。自分の膝上まで水位があり、手を伸ばして泥かきが出来ない。仕方ないので、足のつま先を泥の中にツイストのごとく捻り入れて、指に貝が当たる感触があるとそれを指の間に挟んだまま膝を曲げて手を後ろに回して貝を取る。
シジミも捕れたが、大きなカラスガイ、所謂タッカイという貝がとれた。あのタッカイを持ち帰り食べたのかどうかは覚えていない。ただ、泥抜きもせず、あのまま食べたら泥臭かったろうなあ・・・その辺りの記憶がないので、しっかり泥抜きをしたのかもしれない。
それが何時だったのか、覚えていないが、遠方を見るといわゆる帆引き船が何隻も見えた。景色として素敵なものだった。確かあれは、何らかの漁をしている船だったと思う。観光いばらきのホームページにその帆引き船(観光用)の写真があるのでご参照あれ。
その他の情報
コメント