市川大門通り:2006年9月2日当時の記録
この投稿内容は表の家の行脚番外編で2006年9月に歩いた時の記録として、同年9月に投稿したものです。ただ、その後16年を経て、特に町並みは変化していますので、現在の内容にアップデートして再投稿する事にしました。千葉街道、総武線市川駅の付近から弘法寺(’ぐほうじ’と読む)へ通ずる参道を大門通りと言います。途中には有名な「手児奈霊堂」や「真間の継橋」があります。
又、万葉の道と呼ばれ、歩けば随所に万葉の詩が民家の塀などに貼られ一定の雰囲気があります。名所旧跡については、敢えてこの投稿では述べずに町並みについて当時考えた投稿を2022年版としてアップデートした情報を入れました。
大門通り入口
千葉街道から大門通りに入る所の写真です。ここは弘法寺の参道ですので、道は細いですが昔の商店街を感じるいい雰囲気があります。又、この千葉街道の対面側に続く道に参りますと高低差のある場所があります。これは市川砂州の名残です。東京湾の海岸線と真間の入り江の間に出来上がった市川砂州の高さをここで感じる事が出来ます。
リブル
ここの二階はジャズ・ライブハウスのりぶるです。1983-4年の頃だったと思いますが、まだ20代だった私は市川の友人と夜な夜なこのお店に出没しました。ただ、訪れる時間が夜中の11時ー12時頃だったので、恥ずかしい話ライブは終わった後の静けさのあった店内で、ジンフィズやバーボンを飲んでいましたっけ・・・
他の店で飲んだり食べたりしても、我々にとってここが終着点だった。何だか妙に落ち着いたんだなあ・・・我々はここを”ジャズの店”呼んでいた。そしてその友人に「これからジャズ行かない?」と言い行くわけだ。私達は若かったし、特別騒ぐ客ではなかったので、マスターの須田さんはいつもニコニコ接客してくれた。
お通しのポップコーンが私のお気に入りで、お店の中にあったバックギャモンをプレイしながら、時が経つのも忘れていましたっけ・・・確かバックギャモンの遊び方もマスターの須田さんから教わった。其他にも色々なテーブルゲームがあったっけ・・・
そんな真夜中組の我々ではあったが、何度かライブの時間に行こうとした事はあった。ところが、その時間に行くと超満員で我々が入る余地はなさそうだった。そんな事が数回続いたので、やっぱり夜中が良いや!という事になったのだった。
りぶるさんのその後
りぶる関連ページ
ご冥福を祈ります。
案内看板
さて、大門通りの写真に戻ります。街灯でよく見かける看板です。大門通りも描かれています。
田中青果店
りぶるの目の前にある田中青果店さん、健在です。何となく街道沿いの建物の様な庇がぐっと張り出してます。こういうタイプの八百屋さんは松戸にまだあるのかなあ?みんなで応援しましょう。
クリーニングパリー舎
看板を初めてみた時はケーキ屋さんかしら?と思いましたが、実はクリーニング店でした。2022年3月現在は解体されてありませんでした。
夏秋武蔵屋酒舗
湯浅靴店
関本長生治療院
お屋敷
いつの日かこのような立派な門構えのお屋敷に住みたいと思いますが、思うだけで実現しません。
総合洋品作業衣 松屋洋品店
ここは小宮青果店さんの一軒弘法寺寄りにあった洋品店です。2022年3月現在残念ながらこの建物はありませんでした。又、この当時は小宮青果店のビルの左半分が小宮青果店、右半分が小宮クリーニングさんでした。2022年現在は小宮青果店だけがあり健在です。
おそば甲州屋
この甲州屋さんは2015年くらいまではありましたが、現在は解体されて一般住宅になっていらっしゃいます。
ツタの絡まるアパ~ト♪
街並みに緑を与えているという点で面白いと思いました。文化練炭の染谷商店さんの少し駅よりでしたが、2022年3月現在は駐車場になっていました。
文化練炭 染谷商店
文化練炭と書いてあり、所謂燃料屋さんですね!小さい頃は良く家でも練炭を使ってました。2022年3月現在ご健在で商売をされていらっしゃいます。
化粧ブロックだけの塀
飾りの化粧ブロックは大抵が上段に一列といったスタイルをよく見かけますが、ここは全面です。開放的な雰囲気ですね。風通しの良い事でありましょう。
真間のつぎはし
真間の継橋の詳しい歴史は他のサイトに譲ります。
ただ、最も意識すべきはここが入り江だった事だった事でしょうか。市川市は下総台地側から国分川・大柏川が下流に流れ、途中で合流し真間川となり真間の入り江、そして江戸川に放流となっていた様です。つまり北から流れてくれば南側の東京湾に注ぐと考えるのが普通なのですが、東京湾側には市川砂州と呼ばれる海岸線がありそこが小高くなっていたために西の江戸川に注いでいた様です。
https://www.city.ichikawa.lg.jp/common/000014883.pdf
この江戸川に注ぐ真間川下流は過去、入り江のようになっていたので真間の入り江というのだそうです。ただし、この真間川、明治以降南側の砂州を開削し新川として東京湾側にも流しています。この入り江を渡るための橋がつぎはしというわけです。このつぎはし付近はそもそも葦などが生える湿地帯であった訳で、多分地盤としてはあまり良い物とは言えないかもしれません。
又、ご参考の為に私が所蔵している真間の継橋の古い絵葉書もここに貼り付けておきます。
話飲茶屋 つぎはし
この喫茶店はつぎはしのすぐ近くにあって、元々はぶりきおもちゃの工場だった場所だそうだ。市川の路地というホームページを作っているKさんが2006年頃案内してくれた。お店の中はモダンで、継橋の昔の絵葉書をパッチにしたものを置いていたっけ・・・
Kさんには当時、本八幡附近にあったレトロな電灯の在り処を教えていただいたり、永井荷風が通ったという大黒家を案内していただいて荷風セットをいただいて雑談したっけ・・・
手児奈霊堂の入り口
さて、本日の目的である骨董市です。会場の手児奈霊堂に向かいます。写真は手児奈霊堂の参道です。弘法寺の階段附近にあります。
手児奈霊堂の境内
この日の目的はこの手児奈霊堂の骨董市に来る事でした。しかし、日にちを間違えたらしく、骨董市なんて影も形もありませんでした。それはさておき、石畳の先に見えるのが霊堂で、その左に見える薄緑の樹木は桂の木です。どうやら歌手の’さだまさし’が植えたらしい。
手児奈霊堂の池
この池は真間がまだ入り江であった頃の面影という事になってます。奥に見えるピンク色はサルスベリですね。池の中には睡蓮です。
真間の井と亀井院
迷い始めて来た真間の井と亀井院です。これの由来についても他の方に譲ります。中にはカイズカイブキが植えてありました。真間の手児奈が毎日水を汲みに来ていた場所がここだそうです。
荒物雑貨新川屋
荒物屋という言葉が懐かしいですね松戸にも荒物屋と看板に書いている所は殆ど無いですね。思わず写真を撮ってしまいました。この近くに新川屋酒店も以前ありましたが、親戚筋でしょうか?明治以降南側の砂州を開削し新川として東京湾側にも流しています。この新川からは遠いですが、関連があるのかと考えています。
朝倉青果店
オープンな雰囲気の八百屋です。こういったオープンな造りの八百屋がやはり基本ですね。近所の方のコミュニケーションの場になります。2022年3月現在もご健在です。
木塀
松戸の宮前町だったか角町であったか忘れましたがまだこのような木塀が残ってますね。昭和の頃にはよく見かけました。貴重ですね。
弘法寺の入り口
真間山弘法寺はこの様な鬱蒼とした樹林に覆われた高台にあります。シラカシ・スダジイ・ケヤキなど東葛地域の鎮守の森に良くある樹種が目立ちます。正面の門扉の様な場所が入り口
階段、涙石
階段の途中にあの有名な涙石があります。
真間山弘法寺仁王門
この仁王門にかかる扁額の「真間山」の文字は弘法大師空海筆、また仁王門におさめられている「仁王像」は運慶作との言い伝えがあります。馬橋の万満寺の仁王門の仁王も運慶作と言い伝えられていますが、どちらも確定はしていないですね。
2011年頃の”市川真間商店小史”に書かれていた商店マップ
このマップは大門通り商店会だけでなく、真間大門会、手児奈橋通り会、真間本通りなどの中から記述された商店のみにりぶるを入れたものです。いつか分かる範囲で其他の商店も入れようかと考えています。
最後に
市川は松戸の隣の市ではあるが、事あるごとに通っていた市でもある。若い頃はただ遊びに行くだけの場所で、歳を経てからは松戸も市川も少しは勉強もしたくなった。そういう気持ちになった最初の頃に作ったページだった。
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