つれづれなる行脚

私にとっての海

海つれづれなる行脚
Quang Nguyen vinhによるPixabayからの画像
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私にとっての海

野島崎の海岸で

野島崎の海岸で私、道草亭ペンペン草です
1964年8月3日撮影

海に面していない松戸市に住む私にとって、海は特別な存在だった。それは魚釣りの海であり、水泳の為の海であり、潮干狩りの為の海であり、磯で水中生物を捕獲する海だった。浦安や行徳の海は魚釣りの海だった。九十九里海岸や茨城の大洗海岸は水泳や蛤を取る海、船橋ヘルスセンターや谷津遊園は潮干狩りの海、房州白浜の海は磯であり、海の獲物と出会い格闘する場所だった。

そうそうはいけなかったが、春になると潮干狩りが恋しくなり、夏になると房州白浜や九十九里に行きたくなったものだ。

潮干狩り

潮干狩り

潮干狩り
谷津遊園のパンフより

上の写真は谷津遊園のパンフに掲載されていたものです。子供の頃はこんな感じでアサリをとっていました。干潟でしたから、海の生物もいました。カニを見つけたこともあり、挟まれて痛い思いもしましたね。

汚染公害が進んでいた時代

私が小学生の頃、浦安や行徳の海でハゼ釣りをしていると、京葉工業地帯の煙突から煙がモクモク出ているのが見えたが、気にしていなかった。田子の浦の海水汚染公害がクローズアップされた。米国のラルフ・ネーダーが読売新聞に公害について連載し、警告を与えていた。小6の頃だったか、浦安や中学生くらいになると、光化学スモッグが度々発令された。

これはYoutubeによる”昭和45年(1970) ニュース映像集 / 高度経済成長期のニッポン”ですが、この中で公害を取り上げたニュースがいくつかあります。

4:45から             排ガス公害に泣く街 東京牛込柳町
22:23から           出るわ出るわ!大型ゴミと夢の島
36:40から    これがヘドロ「死の海」@静岡県富士市
38:13から    貝の墓場 京葉臨海工業地帯 @君津市
39:23から    全国300万漁民の怒り

東京牛込柳町は現在大江戸線の牛込柳町駅があるあたりでしょうね。

川が汚れ、海が汚れ,当時はこんなニュースが当たり前の様に流れていた。生活排水が原因だったが近所の坂川は単なるドブ川になって異臭を発していた。

東京湾の海は富栄養化でクラゲがたくさん

上の動画は2014年の頃の動画のようだが、私が昭和の頃みた東京湾のクラゲもこんな漢字でした。

昭和45年頃だったか、同級生と一緒に海に行こうという事になった。当初は蓮沼海岸に行こうと思ったが、母の友達で蓮沼附近出身の人が居て「蓮沼海岸は澪があって、足を取られて溺れることがある」と云われ、蓮沼海岸はやめた。その為、東京湾内の場所は忘れたが、確か木更津よりも手前の海岸に行ったと思う。いや、船橋方面だったかもしれない。

スイカ割り

ダ鳥獣ギ画より
https://chojugiga.com/

スイカ割りをする為にスイカを持っていった。重かったのを覚えている。ただ、当時は中学生がスイカ一個持っていけたという事は余程安かったのだろう・・・到着して海で泳ぎ始めると、海水が暖かかったのと富栄養化が進んでいたのか、えらくクラゲがたくさん居た。そして刺された。チクチクした。クラゲに刺されるというのはこんなに痛いものだという事は初めて知った。

東京湾の汚染

その頃だったか、もう少し前だったか忘れたが、奇形ハゼがニュースで問題になり、ハゼ釣りはやめた。そうして、気持ちが海に向かなくなり、暫く海に行っていなかった。気がつくと東京湾の千葉市辺りまで、殆どが埋め立てられ干潟が殆ど無くなっていた。即ち、潮干狩りが出来るのは(三番瀬もあるにはあったが)木更津方面に行かないと出来ないという事実を知った。

海岸線の埋め立て

フルスクリーン表示

太くて黒いドットラインがかつての海岸線、薄青にした場所がかつての干潟です。随分埋め立てられているのが分かりますでしょ?あんなによく行った船橋ヘルスセンターの海も谷津遊園の海も変わり果てて、京葉線、湾岸線が埋め立てた先に通っていた。

潮の香りがした京成線沿線

子供の頃までは、京成線に乗っていると、潮の香りがしてきたものです。船橋駅は思いっきり潮の香りが漂い、駅を降り船橋ヘルスセンター方面に向かう道沿いで、行商のおばさん達がアサリなど魚介類を売っていた。あのおばさんたちは何処に消えたのか?

幕張や稲毛も電車が到着すると潮の香りがした。しかし、徐々に埋め立てられ、現在京成稲毛駅や京成幕張に着いても海の近くだった事など想像もできなくなってしまっている。

『埋立前の千葉市稲毛海岸の風景。!(^^)!』
昨日見学した神谷伝兵衛の別荘の中に戦後の昭和20年代から昭和30年代初頭の稲毛海岸の写真が展示されていました。(^^♪昭和30年代半ばまでは、現在の千葉街道ま…

霞ヶ浦の浮島

カラス貝

donations welcomeによるPixabayからの画像

霞ヶ浦の浮島は淡水で湖なのですが、私にとって海の様な存在でした。行ったのは一度だけでしたが、そこでのシジミやカラス貝捕りが面白かった。水は濁っていて、一定の深さがありますので、熊手で簡単に取るというわけにはいかなくて、湖底の泥に自分の足の先を右左ひねって、泥の中を探ると、貝が現れるのが足の裏に感じるので、それを足指の間に挟んで、すくい上げる。これが面白い。

霞ヶ浦 - Wikipedia

霞ヶ浦ではカラス貝と呼ばずタンカイと呼んでいた。今、あそこはどうなっているんだろう?

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最後に

子供の頃から水遊びが好きだった。多くの時間は古ヶ崎や伝兵衛新田方面の淡水魚をとっていたのだが、春から夏にかけての海での遊びはとても面白かった。ただ、昭和30-40年頃、公害で相当海も汚れてしまったが、その後の環境浄化で相当良くなっているようだ。

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