市川の絵葉書

古跡 市川名所絵葉書 市川市

里見公園入口 安国の晩鐘市川の絵葉書
(市川名所) 里見公園入口 安国の晩鐘 市川名所絵葉書 後藤書店より
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古跡 市川名所絵葉書 後藤書店発行

古跡 市川名所絵葉書

古跡 市川名所絵葉書
市川市後藤書店発行

市川町後藤書店とあるが、市川市の当時の地図がないため、よくわからない。後日調べてみたいと思う。

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名所の位置について

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各絵葉書

(市川名所) 名刹手兒奈寺

名刹手児奈寺

名刹手児奈寺
市川名所絵葉書
後藤書店より

手古奈霊神堂、当時は寺扱いだったのだろうか?

ホーム
手児奈霊神堂の公式ホームページです。御祈願を随時受け付けております。

(市川名所) 旅団司令部旅団坂

旅団司令部旅団坂

(市川名所) 旅団司令部旅団坂
市川名所絵葉書
後藤書店より

これは野戦連隊への坂道で、下記のページでも触れている。市川市は戦前に軍事的に重要な場所であったようだ。

松戸市下矢切にかつて存在した国際射撃場(国際射撃倶楽部)
終戦後米軍によって占領されると銃砲類禁止令が発令され、事実上銃砲は持てなくなったが、数年後には競技射撃に関しては緩和され、昭和30年代松戸市には身近な場所に少なくとも二つの射撃場が出来た。この章では下矢切にあった国際射撃倶楽部について述べる

(市川名所) 里見公園入口総寧寺全景

(市川名所) 里見公園入口総寧寺全景

(市川名所) 里見公園入口総寧寺全景
市川名所絵葉書
後藤書店より

里見公園入り口と書かれているが、元々總寧寺側から入るのがメインの入口だったという事なのだろうか?その点がよくわからない。写真の着物を来た人々がお寺に来た人達なのか、それとも里見公園に来た人たちだったのかわからないが、白い襟巻きらしきが見える所が、今だったら成人式の姿だなあ・・・と思った。

總寧寺 - Wikipedia

この總寧寺は14世紀に近江国坂田郡寺倉村(現在の滋賀県米原市寺倉)で建立、その後掛川に移るが再び消失、その後関宿宇和田(現在の埼玉県幸手)に移転、その後、関宿内町(現在の千葉県野田市)に移転、その後現在地に移転。再び消失するが、1862(文久2)年に再興。

(市川名所) 里見公園入口 安国の晩鐘

里見公園入口 安国の晩鐘

(市川名所) 里見公園入口 安国の晩鐘
市川名所絵葉書
後藤書店より

これは安国山總寧寺の山門のようだ。現在ある山門とは袴の部分の形が明らかに違うので、袴を作り変えて、上の建屋を移動したものではないだろうか?

https://www.visiting-japan.com/ja/articles/chiba/j12ik-soneiji.htm

また、この總寧寺には建築家妹島和世が2014年に設計した總寧寺永代供養施設「無憂樹林」があります。

總寧寺永代供養施設「無憂樹林」 / 妹島和世建築設計事務所(Exterior view of Soneiji Cemetery Pavilion
knew! There is SANAA chair!

最後に

この絵葉書は、2012年6月16日に表の家Webページに投稿したものを2022年現在の情報に合わせてアップデートさせ、再投稿した内容です。市川の絵葉書については下記のページもありますので、よろしければ御覧ください。

観光の市川-1:古絵葉書
市川市観光協会が昭和30年代前半に発行した”観光の市川”と題する絵葉書で、昔の市川駅前、本八幡のにぎやかな商店街、三本松、旧市川市役所、公民館など当時の雰囲気を感じる事が出来る貴重な絵葉書だと思う。継橋の違う時代の絵葉書はいずれ発表したい。
観光の市川-2:古絵葉書
市川市が昭和32-3年頃に発行した”観光の市川”と題する絵葉書。江戸川から見た国府台の風景、旧市川市役所など当時の雰囲気を感じる事が出来る貴重な絵葉書だと思う。もうひとつ所蔵している市川市観光協会の発行した絵葉書とは趣向が異なると思われる。

 

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