館山の観光:昭和な観光パンフレット
多分昭和20年代と思われる館山市のパンフレットを見つけたので、内容を分析してみたい。
パンフ表

館山市パンフ表
館山市観光協会発行
年代:昭和20年代?
パンフ裏

館山市パンフ裏
館山市観光協会発行
年代:昭和20年代?
パンフの分析
鳥瞰図

館山市パンフ鳥瞰図
館山市観光協会発行
年代:昭和20年代?
館山湾を中心にした鳥瞰図で、城山からの眺めは絶景なのだろうと想像する。ただ、館山をこの角度から見たことがなかったので、興味深い。この鳥瞰図の右上に”とば圭水”のサインと落款らしきがあるが、これは鳥瞰図画家の鳥羽圭水だと思う。

鳥羽圭水
白い旅人というブログを書いている白くまさん曰く
鳥瞰図と言えば吉田初三郎、鳥羽圭水(章)、金子常光、田中冨仙、新美南果、が有名
とある。ただ、鳥羽圭水という人物を調べてみたのだがよく分からなかった。松戸で鳥瞰図と言えば松井天山を思い出すが、色々な方が居たんだなあ・・・と思う。
館山の御案内

館山市御案内
館山市観光協会発行
年代:昭和20年代?
房州の首都館山は人口六万海水浴場として逗子鎌倉に勝る、紺碧清澄の鏡浦を擁し、観光地として収容力其他諸施設充実し、僅か二、三十分にて房総半島突端磯浪砕ける、洲崎、白浜の両灯台に達し、春秋のレクリエーション、冬の御避寒、四季に適した、大衆的な観光地であります。
その特徴ある明るい空と、明るい房州の風物とは、必ず皆様の心に、やすらぎと躍動とをお与えすることと確信致しております。御清遊をお待ち致します。
館山市観光協会
ジーゼル機関車運転により都心より、二時間十五分で館山に直行、煤煙の悩みを解消致しました。
関東名物 館山銀座の七夕祭り

関東名物 館山銀座の七夕祭り(毎年8月7日-10日 四日間挙行)
関東名物 館山銀座の七夕祭り(毎年8月7日-10日 四日間挙行)館山市観光協会
以前は館山銀座商店街主催で8月8日に花火を打ち上げて賑わっていたらしい。ただ、時代の変遷と共に小売商店の活力が徐々に弱まっていくにつれ、館山銀座商店街開催の花火大会の先行きが危ぶまれた時期もあったらしい。現在は商工会議所を始め、協賛する団体やたくさんの個人の寄付がこの花火大会を維持しているとの事。機会があったら見に行きたいと思う。
常春の仙境 房州 館山

常春の仙境 房州館山
館山市観光協会発行
年代:昭和20年代?
観光旅行
何という快よい胸もふくらむような言葉なのでせう。現在のようにわずらわしい生活に少し工夫さえすれば誰れしもが求め得られる経済的な慰安方法は都塵を離れて一日でも二日でものんびりとした旅こそ何よりも楽しい事でせう。そして之が明日への活力素を培養する一鳥二石の方法だと云へるでせう。さて、旅は何処が一番よいでせう?
それは東京から僅か二時間余りで然も快適なヂーゼルカーの一周し一ヶ年を通じ気候も温暖で新日本百景の随一たる鏡が浦の静波に包まれた静寂な仙境房洲館山こそ理想的な観光地です。館山は人口六万、房州第一の文化都市で近代的な感覚と施設をもち然も人情温かく避暑避寒に適し春秋のレクリエーションによく勝景古蹟に富むPARADISE TATEYAMAえ今年も又是非御来遊下さいませ。
言葉使いが、旧仮名遣いで、現代かなづかいに変わったのは1946(昭和21)年なので、少なくともこの文章が書かれた頃は、戦前だったのではないか?と思わせる。ただ、このパンフレットの中だけでも旧仮名遣いと現代かなづかいの両方が使われているので、戦前ではなく、戦後間もない頃ではなかろうか?と考えている。
館山附近の名所

館山附近の名所
館山市観光協会発行
年代:昭和20年代?
海水浴場(館山、西岬、北条、那古、船形等に市営海水浴場が設置されて居ります):鏡ヶ浦の名の通り波静かに海水清澄、 水中の細菌 少きこと関東一と検定せられており、遠浅のためお子様方の水泳には絶対安全であり、遊具、貸船 等の設備も充実し房総随一の海水浴場であります。
沖の島(海上二キロ): ヨットボートの好目標で天然林生い繁り、貝拾いや磯遊びに格好の小島です。
国際公認プール(館山駅より十五丁、バス七分) :新設の国際規格プール長サ五十米幅二十五米日本一流選手の練習や、水泳大会がここで開催せられます。
船形崖の観音(那古船形駅より五丁) :数十尺の断崖の中途に建立し、館山湾を眼下に眺望の佳申す迄もありません。
那古観音(那古船形 駅より十丁) :坂東三十三番安房第一番の札所、境内は桜の名所、山頂は眺望絶佳の遊園地であります。
安房神社(館山駅より二里余、バス二五分) :元官幣大社、境内荘厳、又桜の名所として知られております。 山頂は眺望絶佳の遊園地であります。
砂山( 館山駅より二里、バス二十分) :全国にも珍しい 、海辺より百数十尺の砂の山、伊豆大島を指呼の間に眺め、 お子様づれ一日のハイキングコースとして絶好、又東宝、大映等数多くのロケーションで有名。
白浜灯台(三里余、館山駅よりバス五十分) :房総半島の南端、大平洋の怒濤厳を噛み、名物海女の鮑とり等雄大な風光に接し得られ、又燈台は日本最古の建設であります。
四季の御興趣:釣魚、網船 、地曳網、海水浴、狩猟(兎、山鳥、鳩)日本一枇杷山見物、附近ハイキングコース多数あり。
写真
海の銀座 鏡ヶ浦海水浴場

鏡ヶ浦海水浴場
館山市観光協会発行
年代:昭和20年代?
鏡ヶ浦とは即ち館山湾の事。館山湾は北、東、南が陸として囲んでいる為、波も立ちにくく波静かな湾なんだそうです。ただし、冬は西風が吹き荒れるそうです。黒潮の影響で暖かい日が多い海岸だそうです。

新日本百景 鏡が裏の大観

新日本百景 鏡が裏の大観
館山市観光協会発行
年代:昭和20年代?
この写真のアングルは多分城山公園から鏡ヶ浦方向を撮影したものでありましょう。城山公園は里見氏の居城・館山城跡の事で、館山の地名は、お屋敷のあった山(つまり現在の城山公園)から、館山という名前になったらしい。
洲の崎灯台

洲の崎灯台
館山市観光協会発行
年代:昭和20年代?
洲の崎灯台は館山湾の左端、房総半島の西端にあり、チーバ君のつま先にあたる場所。地図で見た時に房総半島の防波堤的な形状が見られ、多分軍事的にも東京、宮城を守るための大切な要衝と考えられていたのかもしれない。湾内に近づくと海上自衛隊館山航空基地があるが、ここが戦時中は洲の崎海軍航空隊基地だった場所。
大正時代までは沖ノ島と鷹ノ島(高ノ島)がそれぞれ独立した島だったのが、関東大震災の影響で隆起して浅瀬になり、砂が堆積して陸続きになってしまった場所で、そこに航空隊基地を設けたという事らしい。下図参照。
- 1894-1915当時(国土地理院タイル)
- 1972-1982(国土地理院タイル)
船形涯の観音

船形涯の観音
館山市観光協会発行
年代:昭和20年代?
この写真は普門院船形山大福寺 崖観音と呼ばれている場所。又、”まるごとeちば”によると

この観音堂の本尊は、十一面観世音菩薩で船形山の崖の中腹にある祠に刻まれています。この本尊は、養老元年(717年)に行基が東国行脚の折に神人の霊を受け、地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌の自然石に十一面観世音菩薩を彫刻したと言われています。その後、慈覚大師によって堂宇が建設されたと言われています。
昭和な観光パンフ:房州三十四ヵ所 観音霊場でも掲載されているが、房州三十四ケ所の第三番目札所という事になる。下記ご参照。

那古観音

那古観音
館山市観光協会発行
年代:昭和20年代?
“まるごとeちば”によると

創建は、養老元年(717年)、元正天皇の病気平癒に、行基が海中より得た香木で千手観音菩薩像を刻み祈願したところ、たちどころに病気が治り、その報謝で建てられたと伝えられています。以来、源頼朝をはじめ足利尊氏、里見義実、徳川氏らの武家の信仰を集め栄えました。
とあるので、2022年3月現在、鎌倉殿の13人が放送されている様に、

石橋山の戦いで梶原景時(中村獅童)の見逃しにより、房総半島に逃れ、暫く潜んでいたが、その当時以降に信仰したという事なのだろう・・・
昭和な観光パンフ:房州三十四ヵ所 観音霊場でも掲載されており、房州三十四ケ所の第一番目札所という事になる。下記ご参照。

白浜灯台と海女

白浜灯台と海女
館山市観光協会発行
年代:昭和20年代?
白浜が私にとっての一番馴染みの深い場所です。小学生の頃、そして中学生で一度行きました。磯で獲物も多くとても魅力のある海です。



参考資料
https://www.city.tateyama.chiba.jp/files/300003608.pdf

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