船橋飛行場
船橋飛行場は1958年(昭和33)から1969(昭和44)まで存在した飛行場。パンフや絵葉書にその記録があったの投稿します。資料自体は以前、表の家の旧バージョンの頃に公開していたものです。船橋飛行場の遊覧飛行機は高嶺の花でお一人千円の乗り物なんてとてもじゃないが乗れなかった。親もそんなお金を出せなかったと思う。
セスナ搭乗記念用絵葉書
セスナ写真絵葉書
絵葉書通信面
セスナ172概要
セスナ172型:性能
エンヂン:コンチネンタル145馬力 巡航速度:200粁(Km)/時 航続時間:4時間30分
座席数:4座席 全備重量:998瓩(Kg) 自重:553瓩(Kg) 全長:7.6米 全巾:10.95米
遊覧飛行 御搭乗記念
遊覧飛行
御搭乗記念
中央航空株式会社
セスナに搭乗し遊覧飛行をするとこの絵葉書を記念に頂けた。
セスナ172
ウィキによれば、
最初の機体は1955年に製造が開始され、1956年から引き渡しが始まった。1960年初頭に新型式172Aが登場するまで製造を続けた。
関連航空会社他
中央航空株式会社
上記航空歴史館というホームページを参照すると
- 1958(昭和33)年6月1日に中央航空株式会社設立 資本金1500万円 本社船橋市浜町。
- 1958(昭和34)年10月23日にセスナ172 JA3112を取得登録 定置場船橋ヘルスセンター
とありますので、この絵葉書は1958(昭和34)年10月23日以降の絵葉書である事が分かります。
ただ、1969(昭和44)年に墜落事故があり、パイロットは死亡、乗客は重症という悲惨な事故が起きてしまい、船橋飛行場は閉鎖、1969(昭和44)年06月28日には、船橋ヘルスセンター廃止に伴い本社を調布飛行場に移し、同飛行場とヤコウ竜ケ崎飛行場を使用、後に川田工業が買収。1978(昭和53)年12月15日調布飛行場に新中央航空を設立した。この為、中央航空株式会社は現在は無い。
川田工業
川田工業は橋梁などを建設する会社なのだが、新中央航空株式会社だけでなく、東邦航空も傘下に置いている。これらが一つの企業としてどのように結びつくのか非常に興味深い会社である。また、東邦航空は元々三ツ矢タクシー→三ツ矢航空→東邦航空と変化している会社で、テレビ放映されたウルトラQに星川航空という飛行機会社が出てくるが、実は三ツ矢航空の機体を使っていたそうだ。
船橋飛行場ちらし
JA3064というナンバーから、これはセスナ170B JA3064という事になる。これは、上のセスナ172 JA3112の4ヶ月前の船橋飛行場が作られた1958(昭和34)年6月1日に取得したものの様だ。前述したように、その後1969(昭和44)年にセスナの墜落事故があり、操縦者は死亡、乗客だったカップルは重傷だったという。この事故がきっかけで船橋飛行場は閉鎖されてしまった。
潮時表(ちらしの裏側)
この潮時表は上のちらしの裏側のページです。潮時表とも潮見表とも言います。我々は潮時表で引き潮の時間にタイミングを合わせて潮干狩りに行きます。今現在は分かりませんが、当時新聞を見ると干満時間が新聞にも書かれていたと思います。タイミングを外し満ち潮になってしまうと潮干狩りどころではなくなります。
我が家は船橋ヘルスセンターに行くときは遊園地、ゲーム、お風呂、大広間での観劇(確か食事も此処で食べたと思った)がメインで潮干狩りというと谷津遊園に行った。5月31日(土曜日)という日付は1958年(昭和33),1969年(昭和44)、1975年(昭和50)にある。つまりセスナ170Bであること、曜日の事を総合的に考えと1958(昭和33)年6月1日開港に向けたちらしではないか?と考えている。
(謝辞:当初1969年と思っていたが、らーめん77さんのご指摘もあり大潮小潮の表から1958年(昭和33)と訂正した。らーめん77様、誠にありがとうございます。あらためて御礼申し上げます)
参考潮見表
千葉港附近の今年の潮見表は下記です。
参考ホームページ
航空歴史館
大変お詳しく、とても参考になるホームページです。過去、アドバイスをいただいた事があります。
最後に
この投稿は、表の家(https://omotenouchi.jp/)において、2006年頃に投稿した”船橋ヘルスセンターの思い出 チョチョンノパ♪チョチョンノパ♪”や”船橋ヘルスセンターの絵葉書”を元にしています。当時の投稿は、一投稿に要素が多すぎて、読みにくい記事でもありましたので、船橋飛行場に関して抽出し内容を刷新し、表の家別邸(https://omotenouchi.com)の記事として再投稿しました。
あの当時この写真があったね・・・等あるかと思いますが、それらを含め、その他のパンフ、絵葉書などと共に順次アップロードしていく予定です。
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