市川の絵葉書

観光の市川-1:古絵葉書

真間の継橋市川の絵葉書
真間の継橋 2006年9月2日撮影
スポンサーリンク
スポンサーリンク

観光の市川:昭和30年代初期の古絵葉書:市川市観光協会発行

観光の市川 絵葉書

観光の市川 絵葉書

昭和30年代前半に発行されたと思われる古絵葉書。発行は市川市観光協会。

絵葉書の施設の位置

絵葉書になった箇所はたくさんありますので、その位置が分かるようにマップに記載しました。もし間違えている箇所がありましたら、教えて下さいね!

地図の全体をご覧になりたい方はフルスクリーン表示をクリックして御覧ください。

スポンサーリンク

絵葉書一覧

江戸川より里見古蹟を望む、夜泣石

江戸川より里見古蹟を望む

江戸川より里見古蹟を望む、夜泣石
市川の観光絵葉書
市川市観光協会発行

里見公園

里見公園

里見公園
2020年8月22日撮影

夜泣石(里見公園内)

夜泣石の伝承とは、第二次国府台合戦(1564(永禄7)年)、里見広次の12歳の一人娘が父の戦死を聞いて、戦地に駆けつけたらあまりに無残な様子を見て大きな石にもたれかかり泣き続け亡くなってしまった。それ以来夜になるとこの石から咽び泣く声がきコケるようになった。下記のページで詳しく説明されている。

夜泣き石(国府台) | 日本伝承大鑑
【よなきいし(こうのだい)】永禄7年(1564年)に起こった第二次国府台合戦は、北条氏と里見氏が激突し、多数の犠牲を出したとされる戦いである。前日に北条の先鋒を撃破した里見軍は、その夜は酒をふるまい軍装を解いていた。そこへ夜襲を仕掛けた北条主力によって里見軍は総崩れとなり、当主の里見義弘の馬が矢傷を受けて辛うじて逃げお...

国府台松並木とつつじ、市営球場

国府台松並木とつつじ

国府台松並木とつつじ
市営球場
市川の観光絵葉書
市川市観光協会発行

松並木とつつじ→松戸街道?

このカーブの感じからして、多分松戸街道で松戸方面を見ている写真ではないだろうか?であるとすると下記の位置。

現在の市営球場

これは国府台球場の事だと思う。

国分山国分寺、名木三本松

国分山国分寺、三本松

国分山国分寺、三本松
市川の観光絵葉書
市川市観光協会発行

国分山国分寺

下のリンクは下総・中山方面を廻っている方のページです。

国分山国分寺と国指定文化財下総国国分寺跡
国分山国分寺、現在は真言宗豊山派のお寺。...

名木三本松

2022年現在はただ石碑が置いてあるだけだが、私が見に行った頃は松ではなかったが、中央分離帯に樹木と共にあった。下のグーグル・ストリートビューは2009年頃の様子。三本松が実際にこの場所にあった頃の絵葉書も所蔵していますので、いずれ投稿します。

下記の三本松について書いているリンクは”市川の路地を楽しむ“というホームページをお持ちの方のホームページです。2007年頃だったか、二~三度ほどお会いしたことがあり、本八幡の街路灯や継橋など色々と案内していただきました。

市川の路地を楽しむ

本八幡駅前繁華街、市川駅前広場:薔薇園

市川駅前広場・本八幡駅前繁華

市川駅前広場・本八幡駅前繁華街
市川の観光絵葉書
市川市観光協会発行

本八幡駅前繁華街

本八幡駅前の繁華街とは何とも言えないが、北口で歩いていくとそのまま京成八幡駅方面に繋がる道沿いではなかろうか?2007-8年頃、京成八幡駅の近くを歩くと、京成不動産の前にちょっとしたトラスで出来た柱があった(今はない)。それは看板となっていたが、その看板とこの絵葉書のゲートがコンビネーションしている様に感じた。

市川駅前広場 薔薇園

現在の市川駅北口はすっかり変わってしまったが、私が子供の頃は絵葉書の写真のような雰囲気で、千葉街道の交差点に警察官が立って誘導していたのを思い出す。なんとなく洒落た感じのする駅だった記憶がある。古き良き時代を思い出す。

市川市役所、公民館

市川市役所・公民館

市川市役所・公民館
市川の観光絵葉書
市川市観光協会発行

市川市役所

市川市役所は1935(昭和10)年3月に上記写真の庁舎が竣工し、その後大柏村、行徳町、南行徳町の合併が続き1959(昭和34)年に新庁舎が建て替えられ1979(昭和54)年まで増築を続けた。その後、2020(令和2)年に新規に建替えが行われ市川市第一庁舎として現在の姿になっている。これは山下設計が設計したもの。

当初計画案を見た時に内部に巨大なアトリウムがあるのだと思っていたが、どうやらそうではなく、北面(京成電鉄の線路側)になだらかな斜面を構成した造りで、千葉街道側はそそり立つイメージになっている。

第一庁舎

第二庁舎

参考のために第二庁舎の写真も下記に貼っておきます。これも山下設計です。

新庁舎の設計図書もあります

市川市新庁舎建設基本設計図書|市川市公式Webサイト

公民館(市川市中央公民館)

市川市中央公民館は新潟県令だった小熊六郎氏が1868(明治元)年に新潟県柏崎市に建築した建物で、旧国鉄の甲信越地区自動車局長だった小熊容徳氏の邸宅だった。これを1949年に市川市が市制15周年としての記念行事で移設した建物で、葛飾八幡宮の近くにあった由緒正しい建物だったが、2021年11月30日で閉館となってしまった。

市川市中央公民館解体へ 明治の面影残る木造建築 新潟から移設70年 一部は移築保存方針
 明治期に新潟県で建築された邸宅を移設した市川市の中央公民館が、11月末で閉鎖し解体されることになった。施設の老朽化などが理由で、跡地には子育てに関連する複合施設が整備される予定。木造建築の風格あるた

手児奈堂・真間の継橋

手児奈堂・真間の継橋

手児奈堂・真間の継橋
市川の観光絵葉書
市川市観光協会発行

手児奈堂(手児奈霊神堂)

 

市川のむかし話『真間の手児奈』|市川市公式Webサイト

簡単に書くと、あまりに美しくて言いよる人が多すぎて、困ってしまった手児奈という女性が困ってしまって、真間の入り江に身を投げ死んでしまったことから、その供養の為に出来た場所。

手児奈霊神堂

手児奈霊神堂
2020年7月20日撮影

真間の継橋

真間の継橋 - Wikipedia

手児奈の伝説で真間の入り江を書いたが、実はこの一帯は真間の入り江だった。弘法寺への参道の途中で砂州が重なっていて、砂州から砂州に渡るための継橋があったそうだ。

真間の継橋

真間の継橋
2006年9月2日撮影

中山法華経寺五重塔、祖師堂

中山法華経寺

中山法華経寺五重塔
中山法華経寺祖師堂
市川の観光絵葉書
市川市観光協会発行

中山法華経寺五重塔

中山法華経寺

中山法華経寺
2019年1月20日撮影

法華経寺は中にはいると広いし、常時参道にお店もあり、週末に行くと楽しい。

中山法華経寺祖師堂

法華経寺祖師堂
中山法華経寺祖師堂

中山法華経寺祖師堂
2019年1月20日撮影

八幡不知の森・葛飾八幡宮

八幡不知の森・葛飾八幡宮
市川の観光絵葉書
市川市観光協会発行

八幡不知の森

八幡の藪知らず - Wikipedia

葛飾八幡宮

葛飾八幡宮 - Wikipedia

スポンサーリンク

最後に

これは市川市観光協会が昭和30年代前半に発行した”観光の市川”と題する絵葉書を2008年頃に発表した投稿であったが、現状の情報などを加え2022年2月に再投稿した。情報の間違いなどありましたら、アドバイスお願いします。

関連ページ

観光の市川-2:古絵葉書
市川市が昭和32-3年頃に発行した”観光の市川”と題する絵葉書。江戸川から見た国府台の風景、旧市川市役所など当時の雰囲気を感じる事が出来る貴重な絵葉書だと思う。もうひとつ所蔵している市川市観光協会の発行した絵葉書とは趣向が異なると思われる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました