房総の絵葉書絵葉書の部屋

房総白浜の昭和な絵葉書 と 白浜町の磯の思い出

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房総白浜の昭和な絵葉書

白浜絵葉書

白浜絵葉書
白浜町役場発行

白浜町役場発行となっている。白浜と聞くと紀伊白浜をイメージする人が多いと思うが、ここは千葉県の最南端の白浜町である。現在、白浜町役場は無く、南房総市管轄のエリアになっている。この当時は役場単位で絵葉書を発行し、観光に力を入れていたんだなあ・・・野島崎灯台を背景の絵葉書である。

白浜町野島埼灯台の周辺

この空中写真は国土地理院によるもので、比較的最近の空中写真です。野島崎灯台の周辺は非常に岩場の多い磯である事が分かるかと思います。

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絵葉書

この中には二枚の絵葉書しか入っていないが、こんな感じです。

房州白浜町野島崎の景-1

白浜絵葉書 白浜町役場発行

白浜絵葉書
白浜町役場発行

房州白浜町野島崎の景
昭和九年東京湾要塞司令部地乙第一二九号許可済(撮影小笠原正一)

と書かれている。

東京湾要塞司令部
観音崎砲台の弾薬庫として建設され、現在も明治期の建築物が残っている観音崎弾薬庫の歴史と現状を紹介します。

上記ホームページによれば、東京湾要塞司令部とは「東京湾要塞の司令部として要塞の運用と維持管理を担当したセクション」で日清戦争時には無かった為、臨時東京湾要塞司令部が作られたが、日清戦争の戦後に東京湾要塞司令部として発足した。陸軍の施設であり、当時は絵葉書を発行するにも東京湾要塞司令部の許可が必要であったのだろう・・・

房州白浜町野島崎の景-2

白浜絵葉書 白浜町役場発行

白浜絵葉書
白浜町役場発行

房州白浜町野島崎の景
昭和九年東京湾要塞司令部地乙第一二九号許可済(撮影小笠原正一)

と書かれていて、同様のタイミングで東京湾要塞司令部の許可を取ったものの様だ。野島崎灯台を背景に白浜の磯に海女が一斉に漁に出発する風景が描かれている。多分これはこの岩場の近くに海女の詰め所の様な場所があり、管理する人がいて、そこからのスタートになるからではないか?と思われる。

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房州白浜旅行1964(昭和39)年8月

房総白浜に行った1964(昭和39)年の夏

マップ全体をご覧になりたい方はフルスクリーン表示をクリックしてください。又、このルート図は1970年頃の地形図を元に記憶をたどりながら、OpenStreetMapに書き込んだルートです。

表の家の書き込みで、房州白浜町出身のFさんが附近に住んでいて、Fさんの収集していた記念切手を分けていただいた話を書いたことがあった。このFさんが、1964(昭和39)年の夏、我々を連れて、自動車でFさんの実家に連れて行ってくれたことがあった。あの当時房州白浜に行くには東京湾沿いの千葉街道を走っていくしかなかったと思う。

高速の京葉道路も一之江出入口 – 船橋IC間くらいは自動車専用道路だったかもしれないが、千葉街道のその他は全部一般道だった。この為、はっきりとは覚えていないが、5-6時間はかかったように思う。あまり時間がかかるので母が「同じ千葉県内なのに、白浜より大阪に行くほうが近い」と語っていた。

海が開けた上総湊附近

京葉道路は、海岸線の道なのだが、海を眺めるという意味ではそれほど面白い道ではなかった。千葉市、富津を過ぎた辺りで、強い波が押し寄せる場所だったが、海が開けて見えた場所があった。とても良い印象だったので、Fさんに「ここはどこ?」聞いたら「上総湊かな・・・」と言った。いまだに私は上総湊には行っていないが、いつか行ってみたい場所だ。

白浜のFさんの実家

アワビ

덕효 홍によるPixabayからの画像

Fさんの家に到着すると、Fさんのお父さん、お母さんが居た。お父さんは海士であり、お母さんは海女だった。両方とも”あま”と呼ぶ。海で漁をする時期が外れると農業をしていた。白浜は海流の影響で、年を通して温暖な季節が多かったからかもしれない。夕飯は海の幸だったと思う。今まで食べたことのないような海産物を食べた、アワビ、サザエ、ウニ等などである。

私の実家では、アサリやしじみの味噌汁、刺身といえばまぐろやタコだったので、こんなに豊富な海の幸には正直驚いた。そうそう、変わったものとしてはタレも食べた。タレというのは乾燥したクジラ肉で、焼いて食べた。

磯にはウツボが居るよ

白浜に着いて、一息ついた後、我々も早速海に行こうとしたら、Fさんのお母さんが、色々な事を教えてくれた。仮に近くにバフンウニなど獲物があっても、すぐに手を出してはいけない事だった。「何故ならね」と言って、Fさんのお母さんが手のひらを見せてくれた。見ると疵だらけで、親指の根元が一部欠けていた。どうして?と聞くと「ウツボに噛みつかれたからだ」という。

つまり獲物のいる所には必ずそれを狙っている別の動物がいるという事だ。迂闊に手を出すとこういう事になると教えてくれた。私は正直な話、腰が引けた。サザエやアワビは漁業権の関係でとってはいけないらしいのだが、海は危険なことがたくさんある事は教わった。

アワビとトコブシ

どちらかな?

cocoparisienneによるPixabayからの画像

アワビやサザエは小2の私が潜れる場所には居なかった。少なくとも3メートル以上の深さの所に居た。Fさんのお母さんは「海女は小さいアワビはこれから成長するから捕獲しないのだ」と言っていた。潜る時は、丸い輪の様な物を持って入り、小さいなと思ったらその輪を通して通らなければ捕獲し、通れば逃がすのだという。

ただ、トコブシは小さいが捕獲する。トコブシとアワビの違いは、貝の穴の数だという「アワビは少なく、トコブシは多い」と教わった。小さいのに穴の数が多いのが不思議だった。今春のおせち料理は実はテレフォンショッピングで購入したが、アワビ入りだと書かれていた。余程大きいものか?と期待したが、小さかった。

しかし穴の数は少なく、アワビだったが、今はあんなに小さいアワビでも捕獲するのか?と疑問に感じた。もしかすると養殖アワビだったのかな?

アワビとトコブシとの違い
アワビとトコブシは値段が全然違いますので、騙されないようにご注意下さい。

星空

Starry Sky

PexelsによるPixabayからの画像

私達がFさん実家にお世話になっている間に、実は別の家族も来ていた。その家族の中の中学生くらいのお兄さんが一人いて、星空観察をしにきたといっていた。夜、一緒について行ったのだけど、そのお兄さん曰く「空気が綺麗すぎて、星が多すぎて、良くわからない」だった。所謂満天の星だったが、正直どの星座が何処にあるのか私にはさっぱり分からないくらい星が沢山見えた。

ホタル

又、別の日には蛍狩りに行った。私が小さい頃の松戸市の竹ケ花、根本周辺ではホタルを見た経験が無かったので、心は躍った。網で捕まえビニール袋に入れていたら、翌朝穴を開けて逃げていた。

又、別の日には蛍狩りに行った。私が小さい頃の松戸市の竹ケ花、根本周辺ではホタルを見た経験が無かったので、心は躍った。網で捕まえビニール袋に入れていたら、翌朝穴を開けて逃げていた。

ヤドカリで釣り

ヤドカリ

Jérôme ChoainによるPixabayからの画像

遊びに来ていた他のお兄さんから、翌日、釣りに行こうと誘われた。無論私は行った。竹竿で簡単なもので、浮きは無く、返しの無い針が付いているだけの簡単な装備だった。「餌はどうするの?」とお兄さんに聞いたら、「ヤドカリだよ」という。ちょっと可哀想なので具体的には書かないが、ヤドカリが餌になる。

これを針につけて、海の中にほおると、ボラが獲れた。面白かった。どんどん釣れた。

モリで捕獲

モリ

いらすとや
https://www.irasutoya.com/

又、ある日は「モリを持って潜ろう」と言われた。モリとヤスという言葉があるが、モリとはゴムなどが付いていたり、発射するもので、ヤスとは発射する装備が無いものなのだそうだ。ただ、「モリは人が泳いでいるそばでやってはいけない」と言われた。そりゃそうだよね!危ないもの・・・

海岸で焼うに

バフンウニ - Wikipedia

お兄さんたちと磯に行き、お兄さんたちがバフンウニをたくさん取ってくると、それを磯の上で焼いて食べた。ウニって生でなくても焼いても美味しいのね!

白浜の海で泳ぎ、海に対するイメージが変わった

磯遊び

いらすとや
https://www.irasutoya.com/

私がそれまでに行った海は、船橋の海、谷津の海、九十九里の海、大洗海岸の海だった。これらは全て、砂浜だった(大洗海岸は正確には小砂利で水が冷たかった)。つまり平坦な海で、獲物と言ったら、アサリ、ハマグリ、カニ、エビくらいのもので、それはそれで満足していたのだが、白浜町の海は全く違っていた。磯の海がこれほどまでに違うとは知らなかった。

岩場にはフナムシ、ヤドカリ、カニなどが波しぶきの中で右往左往している。海の中に潜ると、今度はイソギンチャク、フグ、ボラのような魚も泳いでいる。上述した様に色々と遊んだ。こんなに楽しいことは無いね!

野島崎灯台にて

野島崎灯台にて

野島崎灯台にて
Fさんとペンペン草 1964年8月3日撮影

野島埼灯台 - Wikipedia

野島崎の海岸にて

野島崎の海岸で

野島崎の海岸で
1964年8月3日撮影

この写真は野島崎の灯台の近くで撮影したもので、ご覧になって分かると思うが、岩場だらけの磯だった。こういう場所を歩くには、靴やしっかりしたサンダルで行かないと怪我をしてしまう。

最後に

最初は絵葉書の紹介だけのつもりだったが、投稿の途中で、房総白浜に行った時の色々な思い出が思い出され、それも一緒に書いてしまった。私が、白浜のFさん宅に行ったのは1964(昭和39)年8月と1967(昭和42)年8月頃だったと思う。あの当寺から50年も経ってしまった。Fさんに話を聞くと水も随分きれいじゃなくなったと聞いた。

とは言え、松戸に比べてまだまだ空気も水も綺麗なはずだ。コロナが明けたら是非、南房総市白浜町に家族を連れて磯遊びに行きたい。

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