房州白浜:昭和な観光パンフ

房総白浜パンフ
現在の南房総市白浜町の古観光パンフである。後述するホテル旅館の宿泊代から昭和37-39年頃ではないだろうか?銀座の千葉県東京事務所物産観光部に白浜町観光課の東京案内所があったようだ。また、このパンフレットはデザイン:安西久夫 / 印刷:株式会社集賛会と書かれています。
アクセス:房総西線(現在の内房線)

アクセス
房州白浜パンフ
白浜へのアクセス方法として、房総西線が書かれている。この房総西線とは、現在の内房線の以前の呼び方で、1933(昭和8年)から1972(昭和47)年まで存在した呼び方。上野マップには記述されていないが、同様に現在の外房線は、以前房総東線と呼ばれていたが、1972(昭和47)年に外房線に改称された。
大きな意味では房総西線、房総東線がイコールそのまま、内房線、外房線と言っても良いのもしれないが、厳密に定義するのは鉄道に詳しい方におまかせしたい。その他のルートとしては東京汽船、東海汽船、東京湾フェリーでアクセスする方法が書かれている。こういうのは見ていて面白い。
アクセス時間

所要時間
房州白浜パンフ
白浜にアクセスするのには館山市からはバスや自動車に頼らざるを得ないのは今も昔も変わらないようだ。館山市から白浜まで、軽便鉄道でも通れば、便利だとは思うのだが、難しいのだろうか?
しらはま音頭

房州しらはま音頭
房州白浜パンフ
このしらはま音頭の衣装を見た時に、安房=阿波で阿波おどりの様な踊りなのではないか?と感じたのだが、曲と踊りをYouTubeで見たら、普通の音頭の様だった。ご覧になりたい方は下のYoutubeからどうぞ!

しらはま音頭-歌詞
房州白浜パンフ
上の歌詞ですと二番からなので、一番の歌詞から書きます。
白浜音頭
サーノエーヨーホエ
房州白浜ヨーホエ 住みよいところヨ
真冬菜種のサ コラショ 花盛りヨ(ソラホントカヨ)
夏は涼風サ 沖から吹いてヨ
松の根ごろでサ 夢を見るヨ
ヨーホエヨイコラショ
サーノエーヨーホエ
野島崎からヨーホエ 大島呼べばヨ
島のあんこがサ コラショ 出て招くヨ
粋を利かせてサ 三原も燃えてヨ
いとしいとしとサ 煙吐くヨ
ヨーホエ ヨイコラショ
サーノエーヨーホエ
海女の口笛ヨーホエ 伊達には吹かぬヨ
主を想えばサ コラショ よくひびくヨ
せめて日暮れにゃサ 女の甲斐にヨ
磯で髪すくサ 水鏡ヨ
ヨーホエ ヨイコラショ

しらはま音頭-楽譜
房州白浜パンフ
写真
野島崎公園

野島崎灯台
房州白浜パンフレット

海底透視船

海底透視船
房州白浜パンフレット
野島崎海底透視船は今でも現役、健在です。所謂グラスボートでしょうね。
豪快な磯釣り

豪快な磯釣り
房州白浜パンフレット
己が罪旧跡

己が罪旧跡
房州白浜パンフレット
『己が罪(おのがつみ)』とは明治の文豪である菊池幽芳著の小説である。後に子爵夫人となる女性主人公・箕輪環の薄幸の人生を描いている。
旧跡七福神

旧跡七福神
房州白浜パンフレット
所謂野島崎の七福神と呼ばれているものです。当地の厳島神社は野島弁財天として親しまれていて、ここに、房州の名工、武田石翁作による野島崎の七福神が置かれています。

キャンプ適地

キャンプ適地
房州白浜パンフレット
白浜は温暖なため、キャンプにも適しているのでしょうね!

ホテル・旅館

旅館案内
房州白浜パンフレット
岩目館
閉館、
白浜館

南海荘
野島館
野島館という旅館、ホテルは見つからなかったが、野島荘という民宿はあったが、これの事だろうか?
暖洸園
暖洸園というホテル、旅館は現在見当たらない。
黒岩荘
南房総市白浜町白浜425番地附近に黒岩と書かれた宿泊施設らしきはあるが、営業はしていないように見える。これの事だろうか?
白浜海岸ホテル
見当たらない。
房南荘
見当たらない。
紋屋別館
現在宿泊できるホテル・ホテルなど
JTBのページを御覧ください。
最後に
表の家は松戸の歴史がメインだった為、この房州白浜のパンフレットを20年前に入手したにも関わらず、全く分析はしていなかったが、50数年ぶりに白浜を訪れてみたくなった。早く、コロナがあけないかな?!と思います。
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