浜松の思い出深い場所
前回の浜松で良く行った場所はサムデイだけに焦点を絞った。何故なら、浜松において私がもっとも通った場所だったからだ。私の人生観の原点ともいえる場所である。ただ、今回は、その他の場所について、書いてみたい。ただ、今の所調べる手段がなく、曖昧な表現になっているが、いずれ調べて店名などが分かるようにしようと思う。
浜松駅北口
タージマハール@浜松駅前ビルヂング
浜松駅北口は現在すっかり新しいビルに変わりつつあるが、出てすぐ左辺りに古い建物があって、そこの地下にタージマハールがあった。住宅地図で調べると浜松駅前ビルヂングという名称だった。住所は旭町10-8となっていた。
ウェスタンパブ駅馬車@浜松駅前ビルヂング
このビルの二階に駅馬車というウェスタンパブが今でもあるらしい。私が浜松に居た1983-5年頃は、入りたくても入れなかった。でも、今Facebookやその他のグルメ紹介を見ると何故この駅馬車に入らなかったのかと後悔している。私の記憶ではビルサイドから外階段でアプローチしていた記憶があるが、現在の姿を見るとどうやら私の思い違いだったらしい。
ダルマヤ
タージマハールや駅馬車の入っている浜松駅前ビルヂングの並びのビル。多分構造的には別のビルに見えるが正確なビル名は分からない。実はダルマヤさんには入ったことが無かったが、駅前で頑張っている姿は、浜松市の力強さを感じさせたものだった。どうやら廃業してしまったそうだ。
鍛冶町・有楽街
春華堂本店@鍛冶町
ここは、勿論お土産のうなぎパイで有名なのだが、ここの社長が鍛冶町の凧揚げにも非常に熱心で、ご多忙の中、我々の面倒も見て下さった。渥美ゴザ屋のヒロさんとこの本店に伺った際は、コーヒーをいただいたっけ・・・ありがとうございます。凧場でも私(山ちゃん)を覚えて下さっていたらしく、感激したね!
会員制バー”キャンディ”(プライベートクラブ・キャンディ)
場所は有楽ビルで、フリスコが入っていたCOXプラザビルと殆ど隣り合わせの様な場所。鍛治町320-18,19。今でもそうだが、鍛冶町通りからドーンとアクセス出来た。キャンディはグランドホテルの経営していた会員制クラブだった。基本的には会員限定なのだが、一万円を支払うと初見でも入れた。高いのでそうそうはいけなかったが、しゃべり方の面白い人がいて、何度か一人でも行ったことがあった。
この店は伝説的な店で、売り上げの良かった涼子さんが、キャンディなき後に有楽街の赤い建物の二階で店を出していた。”涼子”にはモンちゃんに連れて行っていただく時くらいしか行けなかった。多分、涼子さん同様人気度のあった人はこのキャンディから飛び立ち後に、独立したのではないか?
フリスコ@Coxプラザビル(プレジャータウン フリスコ)
フリスコもやはりグランドホテル浜松の経営するカフェバーの様な場所だった。COXプラザビルの地階で有楽街の黒田稲荷様の正面から入る。比較的気楽に入る事の出来たお店。ここでマネージャーをしていた人(名前を忘れたが)や若い人(芝崎君も含む)が働いていた。昼間はランチも出していた。
プレイタウン・ブルーノア:ゲームセンター@有楽街
ここは行きつけという程ではないが時々訪れた。一階にスロットマシーンがあった記憶があり、私は500-1000枚位の大当たりを出したのだけど、100枚位出た所で、「打ち止めです」と言われがっかりしたっけ・・・ガッチャ、ミナミ君とも行ったね!
有楽街に入り田町中央通りに出る手前左側のビルだったと思うがはっきり覚えていない。二階建てだったと思う。二階にはハンバーガーの自動販売機や無料のジュースが飲める機械があった。これは紙コップで飲むのだが、使い捨ての筈のコップを店主がゴミ箱から拾い出し再利用して機械にセットしていたのを知ってからあまり飲まなくなった。
田町
パチンコやしま
松菱通りの松菱前に現在やしまタバコセンターというお店がある。私の記憶があいまいで申し訳ないが、ここは以前、小さなパチンコ屋さんだったと思う。ここは小さな店がいくつか並んでいて、パールスマートボールやゲームセンター(有楽街のプレイタウン・ブルーノアと同名)は姉妹店であろうと思う。
千歳町
スナックあいの子
静岡県浜松市中央区千歳町46
エキゾチックな顔立ちの素敵な女将が居た。そして、マサミちゃんという子がバイトをしていた。もう一人、目のクリっとした女性が居たが名前を思い出せない。常駐当時は良く行ったものだ。ただ、一人でというのではなく、現場事務所の人と数人で行く店だった。あれから20数年後の2007年頃、我が先輩のRSさんに誘われて、浜松を訪れた事があった。
曳馬にある福嚴寺のご住職の福智さんにお会いしに行く事が第一の目的だった。実はこのご住職は、我々の担当物件の申請時に市役所の建築指導課に居た方で、どうしたらホテルにアトリウム空間を作れるか、前向きに考えてくださっsた人だった。繁華街に戻り千歳町のうなぎ屋さんに行ったり、鍛治町の中を歩いたが、その夜、”あいの子”に行った。
いつもは出てこないママが車でわざわざ出てきてくれたっけ・・・今も営業しているのだろうか?
スナック路
浜松市中区千歳町59-5
あいの子ほど行った訳ではないが、何度か通った。あいの子のすぐ近くだった。
凧祭り関連
鍛治町自治会館
鍛治町のリーダー達は、5月の連休にここで寝食を共にする。私は役付きでも無いのに、渥美ゴザ屋のヒロさんの手配で何故か一緒に寝泊まりさせていただくことになった。感謝の限りです。
卸商団地の倉庫や銭湯
確か、大きな凧は卸商団地の倉庫に格納していたと思う。凧揚げが終わると、鍛治町に戻る前に大きな銭湯みたいなところでみんなで風呂に浴びて行った。今でもあるんだろうか?
元城町や田町を中心としたエリア
すぺいん
元城町にいまでもあるスペイン料理のお店。ショータロー写真館のケイさんによく連れて行ってもらった。美味しかったよ。
ピーナッツハウス:床が落花生の殻だらけだった喫茶店
上のストリートビューはお店があった場所の情報のみです。
場所は連尺町の交差点付近、住所は神明町223-37(或いは 田町323-11)大通りに面してあった。上のスペインからほど近い場所。コーヒーを注文すると落花生が付いてきて、食べた殻をみんな床に捨てていた。だから落花生の殻だらけの床だった。今はもうないみたい。
↑はまぞうさんが、PBFLグループについてご説明されています。ピーナッツハウスはその一つです。(P=ピーナッツハウス、B=ブルームストリート、F=フィガロ、L=ルイジアナママ)だそうです。かつて浜松を席巻していたそうです。
↑おはぎときなこさんは「色つきのグラスやアルミのトレイ、分厚いコーヒーカップ。
床にはピーナッツの殻がそのまま放置されているのもスタイル」だそうです。
↓ところで静岡市にピーナッツハウスというお店があるらしいけれど、関連があるんだろうか?http://anakawa.blog77.fc2.com/blog-entry-500.html
パブ・マッカートニー
上のストリートビューはほぼ現在の住所を表しています。
田町325-6の小島屋ビルの二階にあった。どちらかというとカフェバーの様な感じで、店主がビートルズ好きで、店の中にマッカートニーを中心にビートルズ関連の写真がたくさん貼ってあった。ピアノ奏者のセイコさんが良く来ていたと思う。ハープ奏者のフーミーさんも来ていたかな?その他の下記の情報によるとライブハウス的なお店でもあったようです。
↑小松陽介さんが高校生の頃から浜松のパブマッカートニーで弾き語り始めたそうです。ギターボーカル
案山子
ここは現存する店で、田町にあるお好み焼きを出すカウンター居酒屋で、高齢のママが頑張っている良い店だ。令和6年5月21日の晩に訪れた。かれこれ40年くらい経つのに、私を覚えていてくれたのが嬉しい。私が良く来ていた頃は、同じ飲食店業界の方々が自分の職場の営業時間が終わった後、飲みに来る業界スタッフ御用達の店という感じ。
朝の四時五時くらいまで営業していたんじゃないかなあ・・・先日ママに聞いたら、最近は流石にそんな時間までは営業していない。多分夜の十時くらいに閉店してしまうようだ。この店は、上記で述べた私の常駐現場のホテルのKマネージャー(通称ガッチャ)が連れてきてくれたお店だった。久しぶりにお好み焼きを食べたが、美味しかったね!
松尾小路
立ち食いソバの玉川
ここは実は松尾小路ではなく、駅南大通りなのだが、このまま走ると松尾小路に入るので、玉川も入れておく。何故か深夜に営業していた立ち食い蕎麦屋さんで、ガッチャさん、ミナミさんに連れてきてもらった記憶がある。ここは駅南大通りで、千歳方面に行く中央柳通りと東海道の間にあったお店。調べてみたら、すでに更地になっていた。
笠井屋書店:松尾小路
松尾小路は松尾神社の参道?だと思うが細い道で、私が居た1983-5年頃は色々なお店が並んでいた。この道は浜松駅南口からタクシーに乗り、「グランドホテル浜松に行ってください」と言うと必ず通る道で、タクシーが行き交うには細い道だった。私が浜松に常駐して、一番最初に文房具を買いに行ったのがこの本屋さんではなかろうか。
週刊誌や漫画を店の中の台に平置きにしている昔ながらの店だった。今探したら分からないかった。当時の住宅地図があれば分かるのだけど・・・
松尾神社
この浜松市中央区元魚町29にある松尾神社は実は読み方がちょっと違う。「まつのおじんじゃ」だそうで、松と尾の間に”の”が入るらしい。又、肴町の氏神様がこの松尾神社なのだそうで、下のブログに詳しく書かれている
松尾神社前の飲み屋街
私が浜松に居た1983-85年当時からあったと思うが、何となく恐れ多くて、入れなかったエリアである。何かご存じの方がいらっしゃったら、教えてください。
鴨江・東伊場・成子町方面
居酒屋「長與」や金原たばこ店
現在オルガン坂と呼ばれている道があるが、その道沿いにあった。いなんば近くに金原たばこ店という店があった。たしかフジパンを販売していた記憶があるが定かではない。このお店、現在ファミマになっている。長與は面白いおばさんが運営していた店で、住建の名前は忘れたが、〇〇さんが贔屓にしていた。この店からそのまま他のお客さんと共にスナックあいの子に行く事もあったっけ・・・
成子町の小さな喫茶店
現場事務所横の階段を登ると成子町になるが、そこに小さな喫茶店の様なお店があり良く行った。店の名前は憶えていない。カウンター数席の可愛いお店で女将さんが一人で応対、飲食物を提供していた。そこで良く飲み物を飲んだり、カレーライスを食べた。そういえば、多分その女将さんの娘さんだと思うが何度かカウンターの中に入っていたことがあった。
あの店の趣味はもしかするとあの娘さんの趣味だったのかもしれない。また、周辺に真珠堂という宝飾品のお店があった。社長は西尾さんだったか?その店からさらに細い道を東に歩くと元魚町、旅籠町方面に出られ、千歳町や浜松駅にも行けた。渥美ゴザ屋さんにもそういうアプローチで行ったね。
さらに進むと寺島や砂山方面なのだが、私は寺島・砂山方面は馴染みが無かった。どうして、浜松駅の南口側には行っていたなかったのか、今となっては分からない。
現場事務所は、寮の隣だったため、仕事が終わると1分以内で寮の自分の部屋に戻れた。通勤電車もない生活は快適だった。ただ寝食が近すぎるというのは気持ちの切り替えが難しく、一日の終わりのケジメが付かない。この為(何となく言い訳めいているが)従食で夕飯を終えると有楽街や千歳町に行く事が多かった。
鴨江のカフェ
切通坂を北上し、鴨江の中部電力まで行かない辺りにあったカフェ。名前は忘れたが、40-50歳くらいのマスターと20代の若い女性がいるお店があった。夫婦だと思ったが、はっきりは分からない。マスターは何となく芸能界通みたいな雰囲気で、女性も何となくタレントをしていた感じの整った顔立ちの人だった。
きんでんのオガタさんが見つけ連れていっていただいた。ランチも出していたし、クリームソーダも注文出来たと思う。はっきりとした場所が思い出せない。
その他
寸座ヴィラ
私が浜松に常駐していた頃はまだ、ヤマハリゾート寸座ヴィラがあった。ここは元々は遠州鉄道が運営するホテルであったが、1981年にヤマハリゾートが経営を引き継いだ。その後のヤマハリゾートは大変なことになってしまうが、ここでは書かない。
当時、浜松で知り合った人が、寸座ヴィラのフロントで働いていた人で、是非案内してほしいとお願いしたら、私が運転し案内してもらった。出発すると浜松城の西を南北に走っている姫街道を走れと云われた。姫街道は別名本坂街道で浜名湖を北から回っていく道で、幕末は女性に好まれた街道であった事からそう呼ばれたらしい。
上のリンクを読んでいただけると分かるが、すでに寸座ヴィラは無くて、その後持ち主が代わっている。
佐鳴湖付近にあったゲームセンター
鴨江小路を佐鳴湖方面に向かい、どこだったか、左折して暫くいった場所だが、比較的佐鳴湖に近い所にあった記憶がある。車で夜一度だけ行ったことがあった。場所が正確に思い出せない。遊んでいる人はたくさんいたね。
辛さが選べるカレーライス屋さん
これも鴨江小路を佐鳴湖に向かった途中にあった。一度五倍の辛さのカレーを食べたら、何度も食べられないなあ・・・と思った記憶がある。
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