千葉県の昭和な観光パンフレット昭和な観光パンフレットの部屋

観光銚子/川安旅館発行:昭和な観光パンフ

犬吠埼灯台千葉県の昭和な観光パンフレット
kenimaiによるPixabayからの画像
スポンサーリンク
スポンサーリンク

観光銚子/川安旅館発行:昭和な観光パンフ

観光銚子

観光銚子パンフレット
銚子川安旅館発行

東京・新宿-銚子(2時間)快速ヂーゼルカー臨時運転となっている。

銚子市の位置

パンフレットによる銚子市

観光銚子パンフレット

観光銚子パンフレット
川安旅館発行

昔なじみの川安旅館へ

観光銚子パンフレット

観光銚子パンフレット
銚子川安旅館発行

黒潮踊る観光銚子へ・・・とある。銚子は南から押し寄せる黒潮と北から押し寄せる親潮が犬吠埼附近でぶつかり東に流れていく場所で、その為か古来より良い漁場になっている場所。パンフの左下には”銚子市 大衆日報社印行”とあります。大衆日報社さんは銚子市の春日町にある会社で地元の情報などを広報する会社です。この投稿の是非もお聞きしますね!

銚子駅北側と川安旅館の位置(明治後期)

産業の中心だった銚子市奥の地区の明治後期の状況と川安旅館の位置を下のマップに示した。この明治後期に存在した主な旅館は大新旅館、川安旅館、山崎屋旅館の3つで、現在でも健在なのが大新旅館さんで、力強い旅館なのだと思う。下のマップは筑波大学・歴史地理学調査報告第12号の「銚子における紀州移民の定着と港町形成に果たした役割」清水克志氏著を参考にしました。

もう少し広範に見たい方はフルスクリーン表示をクリックして下さい。

川安旅館は明治後半は銚子駅と河畔の中央辺りにあったが、昭和戦前期は河畔の山崎屋旅館近くに移っている。大新旅館さん1645年(正保2年)から続く老舗です。創業377年になるかな?創業者が紀州からやってきて始めたのだそうです。現在は犬吠埼にホテルも経営しているようです。下記のページにリンクを貼ります。

301 Moved Permanently
ホテルニュー大新 WEBサイト
ホテルニュー大新-銚子で味わうノスタルジー旅

海は招く観光銚子

銚子観光

銚子観光
川安旅館発行
大衆日報社印刷

海は招く観光銚子

銚子は本州の最東端に位する三方海に囲まれた気候温暖の地。沖を流れる寒暖二流の影響を受けて、東京地方に比べ平均五度夏は涼しく冬は暖かい。全国屈指の近海漁業の根拠地として、また醤油のじょうぞうちとして古い伝統を持つ銚子。ここで穫れる魚は東京の台所にちょっけつし、市内には醸造工場を持つヤマサ・ヒゲタ両醤油の名は国内はもちろん遠く海外にまでひびいている。

銚子半島は北に幅千米の坂東太郎利根川を隔て茨城県波崎町と相対し、利根河口から始まる約十キロの海岸線は、有名な犬吠埼灯台を中心として白砂青松あり、奇岩怪石あり、断崖絶壁あり、湾あり、岬ありで頗る変化に飛んだ海岸美を有し、他地に見られない特色ある景観として絶賛されている。
観光と魚と醤油の街銚子。海釣りによし。川釣りによし。

静養に、ハイキングに、海水浴に、、キャンピングに、史蹟探勝に、自然科学の研究に好適の地銚子。都塵を離れての清遊に格好の地銚子。特に銚子の荒海で獲れた新鮮な魚の味覚に至っては、食通の推奨置く能わざるところで絶対に他の追従を許さない。

交通案内:旅館案内

銚子観光

銚子観光 川安旅館発行

交通案内

東京—銚子間
両国発—総武本線(2時間50分)—銚子着
両国発—成田線(3時間)—銚子着
新宿—銚子間(2時間観光快速列車臨時運転)

料金
総武本線 両国—銚子(片道)290円(大人)
銚子電鉄 銚子—犬吠(片道)所要時間20分大人15円(団体割引)
千葉交通 銚子—犬吠(片道)所要時間25分 大人20円

 

旅館案内

日本交通公社協定、国有鉄道推薦旅館
川安
銚子市利根河畔 電話590番
東京案内所 (67)3939番

銚子観光キャラバン宣伝に付、此の用紙持参の方にはスペシャルサービス致します

この川安旅館を調べてみたのだが、2022年現在は見当たらない。

 

銚子観光

銚子観光
川安旅館発行
大衆日報社印刷

正調大漁節

一つとせ 一番ずつに積み立てて川口押し込む大矢声 この大漁船
二つとせ 二間の沖から外川まで続いて寄り来る大鰯 この大漁船
三つとせ 皆一同に招をあげ通わせ船の賑やかさ この大漁船
四つとせ 夜昼焚いても焚き余る三杯一丁の大鰯 この大漁船

五つとせ いつ来てみても干鰯場はあき間もすき間も更になし この大漁船
六つとせ 六つから六つまで粕割が大割小割で手に追われ この大漁船
七つとせ 名高き利根川高瀬船粕や油を積み送る この大漁船
八つとせ 八手の沖合若衆が万祝揃えて宮参り この大漁船

九つとせ この浦守る川口の明神ご利益あらわせる この大漁船
十とせ  十を重ねて百となり千を飛びこす万漁年 この大漁船
十一とせ 十一日は潮がわり鯵鯖まじりの大鰯 この大漁船
十二とせ 十二のお船玉いさましく明日も三ぞう積むように この大漁船

十三とせ 十三、四つの小野郎奴メンパで鰯を通わせる この大漁船
十四とせ 十四の生網、船新造、あらすの艪櫂で漕き回る この大漁船
十五とせ 十五夜お月様夜に余る八手の鰯は昼あがる この大漁船
十六とせ 十六ササギは花ざかり八手の鰯は色ざかり この大漁船

十七とせ 十七・八の小娘があかねのたすきで塩はかる この大漁船
十八とせ 旗は白地を染めちらしこれこそ八手の大漁旗 この大漁船
十九とせ 九十九里浜から銚子浦粕たく煙が絶えやせぬ この大漁船
二十とせ この職大漁で来る職もまたも大漁するように この大漁船

大漁節は下記YouTubeから聞くことが出来ます。

スポンサーリンク

醤油を始め銚子はやはり関西勢(特に紀州勢)によって発展

銚子と言えば漁業と醤油で有名で、ヤマサ醤油、銚子山十醤油、ヒゲタ醤油であろう。マップにはジガミサを入れたが、これはヒゲタ醤油に含まれる。ヤマサ醤油の広屋儀兵衛(浜口家)が、ヤマジュウは広屋重次郎(岩崎家,ヤマジュウ)が紀伊国有田郡広村から(銚子の)荒野村にやってきて、醤油の醸造を始めた。

ただ、ヒゲタの田中玄蕃さんは下総海上郡飯沼村(千葉県銚子市)の名主で、摂津国(現在の兵庫県)出身の酒造家真宜九郎右衛門さんから関西のたまり醤油の製法を教わって造り始めたという事らしい。紀伊国有田郡殿付から荒野村へ移住し宿屋業を始めたのが大阪屋新六さん、新兵衛さんで、現在の大新旅館である。

ヤマサ醤油

1645(正保2)年に創業した老舗であり、大手の醤油醸造会社である。ヤマサさんの資料館には「醤油の元となるものを作ったのは、鎌倉時代、紀州由良(現在の和歌山県日高郡)の興国寺の僧であった覚心だといわれています。覚心が中国で覚えた径山寺味噌の製法を紀州湯浅の村民に教えている時に、仕込みを間違えて偶然出来上がったものが、今の「たまり醤油」に似たものだった」と書かれている。興味深いですね。

ヤマサ醤油株式会社
ヤマサ醤油の公式ホームページ。いつもの食卓にHappyをお届けするHappy Recipe♪♪、商品情報やスペシャルサイト、キャンペーン情報、CM動画、企業情報などの最新情報が満載です。

銚子山十

1630(寛永7)年の老舗で、一般に言う醤油だけでなく、所謂食べる醤油である「ひ志お」も前面に出して販売されている。

銚子山十
銚子の自然をたっぷり吸い込んだ、見た目は味噌、風味は醤油、銚子山十の「ひ志お(醤)」

ヒゲタ醤油

飯沼村の名主だった田中玄蕃さんが、摂津国の酒造家真宜九郎右衛門さんから、教えていただいて1616(元和2)年に銚子でたまり醤油を開始したのが始まり。1918(大正7年)において、田中家(ヒゲタ印)、深井家(カギダイ印)、濱口家(ジガミサ印)の三家により銚子醤油合資会社設立し、この調子醤油合資会社がヒゲタ醤油(株)となる。初代社長はジガミサ印の濱口吉兵衛さんが就任した。

ヒゲタしょうゆ | Higeta Shoyu
東京都中央区。家庭・業務用しょうゆやつゆの製造販売。会社・商品紹介、工場見学などに関する情報を掲載しております。
スポンサーリンク

成田線 銚子鉄道昭和45年(銚子の懐かしい映像)

銚子駅、ヒゲタ醤油、利根川河口の釣り風景、銚子港、さば旋網船入港受付所、銚子漁港市場、島津船舶電機さんの看板、SLなど当時の懐かしい映像がありますね。

旋網とはまき網の事で、下記参照

まき網漁業とは|一般社団法人全国まき網漁業協会

最後に

以前、テレビのドキュメンタリーで隣の茨城県神栖市の方が住みやすいという事で、銚子市の人がどんどん移り住んでいるという話を聞いた。寂しいことだ。野田市は街づくりにかなりキッコーマンが加わっている話を聞く。銚子市でも多分ヤマサ醤油やヒゲタ醤油は同様に頑張っていらっしゃるのだと思うのだが、銚子電鉄の赤字の話もあり、何とかならないのかと考えるばかりである。

また、このコロナ禍で旅にも中々行けない毎日だが、コロナが明けたら房総を巡りまわりたい。せめて、この表の家別邸で、古パンフを見ながら夢想したい。また、このページのパンフレットは非常に古い時代のもので、新しい情報については千葉県観光協会のページを見てくださいね!

千葉県公式観光情報サイト-まるごとe! ちば-
千葉県の観光スポットやイベント、特産品や...

コメント

タイトルとURLをコピーしました