浜松の変貌-1
久しぶりの浜松
令和6年5月、久しぶりに浜松を訪れた。これは現在の勤務先が加入している某一般社団法人の企画で、屋上緑化や浜名湖フラワーパークの見学の為だった。この浜松は私にとって、松戸につぐ第二の故郷ともいえる場所で、特に1980年代前半は常駐も含め、数えきれないほど訪れていて、鍛治町公認の凧祭りの法被も作っていたくらいだ。
ただ、1980年代後半から海外常駐が増えて、私自身の行動範囲が変わらざるを得なくなった。その後は、15年ごとに訪れる程度で、2009年に妻を連れて凧祭りの見学に来たのが最後かもしれない。思えば、すっかり浜松から足が遠のいてしまった。
商店街が寂しい
久しぶりに訪れた浜松駅南口。見学コースの出発時間まで、まだ30分ほどあったので、今回宿泊予定の南口の某ホテルにチェックインをし、重い荷物を預けてくる事にした。歩いていると途中砂山銀座サザンクロス商店街が目に入った。時間帯の問題だったのか、何となくシャッター商店街の様になってしまっていて、寂しそうな感じだった。
私が浜松に常駐していた1980年代、私がウロウロした場所は北口側の鍛治町、有楽街、モール街、千歳町界隈で、正直な話砂山町付近はタクシーで通過するだけで、商店街に積極的に入る事は無かったが、それでももっと商店街の体をなしていた記憶がある。また、その砂山銀座サザンクロスに至るまでの駅南大通り沿いも片持ち庇の日よけ雨よけのアーケード状になっていたはずだが、残っているのはところどころしかなかった。
松戸の商店街の衰退を悲しんでいた私だったが、どうやら商店街の衰退は全国的な規模で押し寄せていたらしい。これは、一つには、職住分離で住宅が郊外に広がっていき、人が都市部よりも郊外に人が多く住むようになった事から、モータリゼーションの流れが加速した事。それ故にショッピングそのものが、駅前型商店街から自動車を利用した郊外型大型商業施設への変化した事。
さらにその先にあるネット販売への移行が進み、商品の購入方法の多様化が進んだ事が大きな要因だとは思うが、南口エリア全体に活気が無いのが気になった。これは南口だけでは無さそうであることが心配になった。ただ、砂山銀座サザンクロス商店街は、何とかこの商店街に活気を取り戻すために朝市などの催しも行っている様だ。
40年前に有った映画館が見当たらない
浜松に常駐していた1983-85年頃、市内にはいくつか映画館があり行ったことがあった。連尺の交差点付近に現在駐車場ビル(D-Parking)が建っているが、ここに映画館があった。調べてみたら、浜松中央ビルで、映画館名はみゆき座だったようだ。見に行ったのはジェニファー・ビールス主演の”フラッシュダンス”だった。
これを浜松百撰316号で調べたら、1984年の3月1日~3月10日まで放映していたらしい。あの当時は土曜日も働いていたので、ずばり行った日は1984年3月4日だった筈だ。始まる時間まで間があったので、浜松城に行き時間をつぶした思い出がある。ただ、この映画自体は1983年公開で、東京の新宿ピカデリーなどでは1983年4月頃に放映されていたようなので、浜松ではちょっと遅かったのか?
或いは、封切りの映画ではなかったのかもしれない。ちなみに、このみゆき座でフラッシュダンスと同時上映されていたのは、愛と青春のたびだちという1982年の映画だった。
それにしてももっとたくさん映画館があった記憶がある。数えるくらいしか見つからないのは、レジャー志向の変化が大きいのかもしれない。今は自宅でアマゾンプライムを始めとしたサブスクやビデオ・オン・デマンド、或いはスマホで映画を見る時代になっている。松戸駅近辺の映画館が軒並み消えたように、余程大きな都市でない限り、母体が大きな企業でない限り、中々存続が難しいのかもしれない。
有楽街のCOXが無かった
鍛冶町通りから有楽街に入った右側直ぐにCOXビルがあって、記憶だとその地下にフリスコがあり、行ったことがある。今現在は、QFaceになっている場所だ。私が通ったあの頃は、そこで働いていたスタッフも顔見知りで、特にホテルの中でも若手がフリスコで働いていた。このフリスコが入っていたCOX(コックス)は,当時のファッションの中心の様な場所だった。
そして、COXの紙袋を持って歩くことが、トレンドでもあった。これは案山子のママも同じことを言.っていた。このCOXの紙袋をハマゾウさんがネットにアップロードしている。見てください。かっこいいでしょ?
ダルマヤさん
また、浜松駅北口は私が居た1983-85年はまだ古い建物がいくつも残っていて、Western Barのようなお店やインドカレーの入ったビルがあったり、駅前にダルマヤさんという大きな婦人向け服のお店だっだと思うが、大きなビルがあったが、そのダルマヤさんも無くなっていた。
どちらかというと婦人服のお店だったので、私の近寄る店では無かったが、地元に根差したお店が駅前にドーンとあるのは、浜松の商店街の力がある故だと思っていたが、残念だ。
Youtubeにダルマヤさんの建物が入っている動画があります。1:35~2:40までの間、浜松北口駅前の交差点で信号待ちで停車しているので、ダルマヤさんの5階建ての建物がバッチリ見えます。
下は冒頭にダルマヤさんが
渥美ゴザ屋さん跡地
今回宿泊したのは浜松駅南口の砂山方面のホテルだった。懇親会は田町なので、鉄道の高架下を潜り、遠州鉄道の新浜松駅横を通りながら、田町中央通りを北上する事にした。新浜松駅の横は鍛治町になるが、確かこの界隈に渥美ゴザ屋さんがあった筈だ。凧祭りの際、鍛治町の屋台はこの渥美ゴザ屋さんの前で休憩し、女将さん等によって、飲み物などが振舞われた。
店舗前は少し広くなっていたので、屋台が休憩するのにも都合よかったのかもしれない。実は私が鍛治町の法被を着て凧祭りに出られたのはこの渥美ゴザ屋さんのヒロさんの手配であり、ヒロさんに繋いで下さったのは、元城町のショータロー写真館の敬さんである。
あの頃は、この敬さんとヒロさんのご厚意で、浜松の交流関係が広がり、より充実した生活を送る事が出来た。その当時の生活があったので、やはり第二の故郷と言いたいわけだ。
その後、渥美ゴザ屋さんは鍛治町から鴨江に引っ越したのだが、最近の情報では閉業されてしまったようだ。残念だ。
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